ブログページ 1               調和のとれた自律自尊の健康人生


三猿がコミュニケーションのはじまり!

2016年6月8日 

聞いているつもりがしゃべり過ぎ

うなずかず、
笑いもせず、
ただただ聞く!

 

どうしてもうなづき、
笑い、
話をし、
言いたくなるのは、
常なりと
思うは我の勘違い!

 

見猿、
聞か猿、
言わ猿が
真のコミュニケーションの始まり始まり!


青空や

2016年6月2日 

青空や

物悲しくも
晴れている

 

時の流れ
秒から月へ
めぐる生

 

流れ行く
時も空気も
昔から

 

文明は
開花はしたが
人間は

 

十年は
一昔前
過去の過去

 

日は沈み
時は戻らず
月上る

 

近き人
先祖となりて
時を知る


右手は右手!

2016年5月31日 

右は右、左は左!

バランスよく身体があれば、左手は何もしなくてよい!

が、ついつい、右手につられて左手も余計なことをしてしまう。

お手をする必要もないのにお手をしてしまう?!

後天的学習条件反射

気づかないと気づかないが、人は鏡!
受け手がいれば、返してくれる。
後は、素直にそれを受け取れるか?!

 

また、気づいたらその余計なことをやめることは、そんなに難しいことではない。

難しいのは、それを日常動作として馴染ませること。それは、日々の生活の中で、訓練、練習していくしかない!

が、そのありようを実感すれば、そんなんでいいんだと思うだけ!

しようとしなくてよい!
逆にしようとしてはだめ!
任せるところを任せるだけ!


循環

2016年5月31日 

エネルギーも、環境も、身体も、遺伝子も、ああああ、すべては与えられたもの!

地球上の全てのエネルギーは、もともとは、太陽からの放射エネルギー。
光も粒子であり、波動である。
振動数 f [Hz] は周期 T [s] の逆数
f=1/T
すべては頂きもの、もらいもの!
ありがたいもの!

独り占めも、閉じ込めも、固定したままにしておくことも、出来ない。

それなりの場、ありようで、頂いたものを発酵、熟成させ、その場に返す。それが付加価値を提供するか、迷惑をかけるか、兎にも角にも返すしかない。

循環している。

付加価値か、不可価値かの、無用のもの、有用のもの、判断は、その場を共有する相手次第。

動きも、重さも、思いも、有難く頂き、そのありようにより、反応し、静止あるいは動いて、流れに乗ればよい。

動きを感じ、その動きに乗り、流れに乗り、流れ難い所をちょっと流れやすくする。

努力せず
楽にしてこそ
本能発揮


度量衡(SI)と感覚

2016年5月29日

我々、人間は、他の動物と異なり、度量衡により、周りの環境を把握し、思考し、行動している。

これまで、重さ、圧の感覚を繊細にしていくことが、優しい接触、コミュニケーションに必要と思い、重さへの感度と、その移動距離を、基準にして判断し、思考し、行動してきた。

その中で、思考してからでは、遅いこと。思考は居着きの元であり、身体への運動命令は居つきそのものであることを実感してきた。

重さも確かに度量衡の単位である。
しかし、外界を物差しで測る基本単位としては、7 つ(s,m,kg,A,Kなど)あり、さらにそれらから組立てられた 20 の組立単位(m^2,m^3,m/s,m/s^2など)がある。

我々は、普通長さm、重さkgに馴染んで、それらを基準にして、尺度として抵抗感を手がかりとし、判断し、思考し、自分の身体(それも部分部分)にわざわざ命令し、ロボット的に動いてしまっている。
上記の度量衡に関しては、結構緻密に繊細に感覚を磨こうとするが、その度量衡故手応え、手がかりを求めてしまい、居着きの元となってしまっている。

一方、基本度量衡の中には、手応えを求めたくても求められない単位もある。
アンペアAなども、常に流れていながら、現時点では、日常生活上、体感上ほぼ全く無視されている。静電気で、バチッとならない限り、全く無視している。

更に時間に関しても手がかり、手応えは、つかみ得ない。まさに感覚でしかない。
日常の最小単位は、一秒(s)と勝手に思い込んできた節がある。
しかし、その定義は、今や、次のように、なっている。単位1sとは133Cs原子の基底状態の二つの超微細構造準位の間の遷移に対応する放射の周期の9192631770倍の時間”です。百億に迫る数の倍数の時間であり、どんだけ細かく刻んでいるのが自然なんだと驚かされる。

我々は、百億倍の時間の流れを最小単位としている。
いやいや、時間の最小単位は1秒だが、実際の日常生活の最小単位は、3秒、下手をすれば、一分、3分かもしれない。

パソコンのクロック数は、時代とともにアップしてきている。それがCPUの性能の目安になっている。

我々人間も、クロック数をあげたら、どうなるか?
時間感覚、時間観を変えたら、どうなるか?

昨日のたくみの会フルスペックライセンシー講習会で、衝撃! を持って味わった!

逆に如何に、長さと重さ、さらに抵抗感、やった感に居つき慣らされた身体をしているか思い知らされた。
内外界の測定基準を切り替える、体の感覚を切り替えることの難しさ。なじみの深さ、じれにじれるもどかしさを、これでもかと堪能できた!

さて、本日は?!


時は、川の流れのように、時には、時をかける

 

時間は皮膚を通しても流れる。
皮膚はつながり、流れる。
皮膚への熱も流れる。
熱は熱い方から冷たい方に流れる。
熱エネルギーは、確かに高いエネルギー準位から低い方に流れる。

しかし、冷たい感覚は、冷たい方から温かい方に流れる。もちろん温かい感覚は、温かい方から冷たい方に流れる。

感じ方で流れる方向が逆にもなる。
感覚は感覚で、流れる。

時間は、現実的には、まだ逆行しない。しかし、重さの流れ、力の流れ、皮膚への刺激は、自在に流れる。方向も、量も、質も変えられる。

一秒単位で感じるか、コンマ3秒間隔で感じるか!
セシウム原子の基底状態の二つの超微細構造準位の間の遷移に対応する放射の周期の約百万倍が1秒。
自然界は百万分の1秒の世界もある。
そこまでは、細かい感覚は、今のところない。

自分の身近な行動で最小単位時間を計ってみた。呼吸とともに歩数を数えてみた。歩幅を短くしてできるだけ早く歩いて歩数と時間を測定した。更に、頭の中で数を数えて、その時間をカウント数で割ったら、短い歩幅での早歩きで、一歩が、コンマ4秒、口を動かしながら頭で「123,223,323,423,523,623,723,823,923,1023」と3回繰り返し、90回数えるまでの時間を計測し、その秒数を30x3=90でわると平均時間が、コンマ3秒ちょっとだった(0.34秒)。頑張ってやっと0.3秒を切れる時がある。以外と0.3秒を切るのは大変だ!

しかし、コンマ3秒感覚を持つだけで、皮膚を触れると、流れる。流れる。
待ってられるし、流れを止めたり、流したり、自在に流せる。
相手は、節無く触れられ抵抗する気も起きない!

時間感覚と時間観の変容!

赤とんぼ
遠く飛ぶは時間
採るは距離

はえ摘まむ
宮本武蔵は
常に時

和真クリニック院長 福井和彦
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

5月28日(土)、29日(日)のたくみの会フルスペックライセンシー講習会

第1日目終了後の感想
度量衡(SI)と感覚

第2日目終了後の感想
受容器感覚から感覚感覚へ ー 居つきなじみから流れのなじみへ

https://www.facebook.com/karakinoken/


観念運動と観念運動失行〜合目的的から合目標的へ

2016年5月26日 

 

我々人間は、考えてしまう動物であり、思ってしまう動物である。

また、思ってしまうと身体が反応してしまう動物である。

観念運動としてよく知られているものとして、振り子運動がある。
振り子を持って回れ回れと念じると回り出す。右回りと思えば右回りに!
左右に揺れろと思えば、左右に!
まー、素直な一面もある。

 

一方、へそ曲がりの一面、観念運動失行もある。
1)うまくやらなければ、行けない!
2)失敗しちゃーいけない!失敗しちゃいけない!
と思えば思うほど失敗する。

 

1)で、失敗すれば、観念運動失行。
2)で、失敗すれば、観念運動。

 

1)は、こうしてああしてと、プロセスはプロセスと理解して、それ以上考えずに淡々とやれればよいのだが、どうしても、考え考えながら、悩みながらやると、自分自身に疑いを持ち、プレッシャーをかけ、自分で止めておき、固めておきながら、それを問題視して、さらにプレッシャーを与え、問題を肥大化させる。自分に命令すればするだけ、益々深みにはまっていく。
さらには、後天的学習の結果、思っていることとやっていることの逆をやってしまう。
放せばよいのに、伸ばせばよいのに、緊張し、握り込み、縮み上がる。
益々問題を肥大化、可視化して居着いてしまう。

 

2)は、失敗しちゃいけないとは、言いながら、実は自分に失敗しろと命令しているだけであり、表の言葉とは異なり、裏の真の命令を実行している。観念運動!

 

言葉遊びとしては、1)観念運動と2)観念運動失行とは、逆のようだが、しかし、その実、事象は、同じ!

即ち、考えてしまい、それまでに獲得してしまった失敗の刷り込みシステムを起動し繰り返す。


言葉で自分に命令すればするほど、
人から説明されればされるほど。
指導されればされるほど。
命令されればされるほど。
叱咤激励されればされるほど。
当然の結果となる。

 

さて、どうするか?!

 

人間、どういうわけか、目的に対して、直接的に、主体的に、積極的に、どえらいエネルギーを注ぎ込んで、目的そのものを実現しようとする。そして、人間を、合目的的な動物だという。


それがそもそも、勘違い!
失敗の元!
考え違いをしている。

 

目的はあくまでも結果!

 

その結果を得るためには、目的は、ほっといて、目標を確定し、プロセスをデザインし、設定したら、後は、考えない。

悩まない。淡々と実行あるのみ!

 

即ち、身体は、なるようになっているので、身体に任せる。
その準備を整えて、後は身体、自分を信じて任せる。
信じる信じないも余計か?!


身体はうまくできている。
そのうまくできている身体を知覚出来るように知覚を磨く。開く。広げる。

身体にうまく機能してもらうためには、主体的にではなく、自分を客体化し客観的に、自力ではなく被動的に、他動的に、他力で、意識的にではなく、思考せず、非意識的に本能的に、見えても見えなくてもあるものはあるとしてそれを活かす。それも、出来るだけエネルギーを注ぎ込まずに省エネで!

即ち、相手からその思いなり、重さなり、動きを、目で、呼吸で、動きで、意識で、気配でもらい、流れに乗り流れをちょっと変えて、返す。

 

自分からは動かない!
動かしてもらうか、自然な動きで動き始める。
原動力は、相手とおまけのこちらの重さとその思い。

相手のいうことを聞いて、緩んで、半分負け、半分崩れて、重さの流れを、波をもらう。お礼にほんの少し相手にお返しする。流す。
と、いうか、流れる、流れを返せるありようを実現する。

 

その本来のありように戻ることを目標として、自らのサビ付き、固まり、勘違いに気づき、そぎ落とし、自らの知覚感度を上げ、認知機能を客体化する。

合目的的は、失敗の元、不健康の元!
汝自身を出来るだけ微細に精緻に知覚し、知れば、省エネで、少なくとも摩耗挫滅消耗知らず。さらに人間の妙を知って人に返してこそ、人に達する。
人に達するための日々の訓練、練習、楽しみ、人間関係、営みが人生か!

生物とは、頂いたものを、できるだけ消耗を少なく、他の生物に返しているだけ?!

もらって返すのが本質!


掌も、踵となり、相手と一体化!

2016年5月25日 

掌も、踵となり、相手と一体化!

自分の重さか、相手の重さか!

夢幻か!

浮きは沈み、沈みは浮き

ウキウキ?!

パーマン二号な感じ!

飛んだり、跳ねたり、転がったり、自由な感じ!


「人」という字は、ヒトの一部分

2016年5月25日 

人は、良くも悪くもどうしても寄り添い、寄りかかってしまいがち。それが「人」という字に表われている。

寄りかかっているつもりはなくても寄りかかってしまっている。噛み合い過ぎ、求め過ぎ!

新婚時代も、蜜月時代もあるだろう!

間合い、関係性においても、半クラッチ状態は必要!

仲の良いのは健康の元とは、言ったものの、「チッョット嫌い、ツーン」位が、寄りかからず、付かず離れず、ハリネズミの夫婦の間合いで、良い感じ!

「人」は、「II」になって自立、独立、居着かず、自由に動ける。
本日、independence day !

黄身は黄身は、白身は白身!
君は君、僕は僕!

寄り掛からず、繋がり、重さも、流れももらえるが、保留も出来る。
そんな独立独歩のありよう!

いい感じ!

半クラッチ
切れつながって
それでこそ


仲良しは、健康の元!

2016年5月24日

人様に、優しく触れずに触れるは、間合いでありバランス。

流れるありようなら流れる。通る!

挑まず、寄りかからず、自立して、静かに地球と呼吸を味わう。

地球から立ち昇り、空中に浮き漂い、呼吸で地球からパワーをもらい、それを仲良く半分こして味わう。

欲張らない!
頑張らない!
仲良く崩れる!
仲良く負ける!
仲良く釣り合いを楽しむ!


利器あれば、危機あり

2016年5月19日 

言葉は大変便利
便利だが過去へ、ある特定のこと、ものに固着、固定させてしまう危機あり。
言語化とは、過去の体験、経験、概念に押し込めてしまうこと!
生きてるものをホルマリン漬けにするようなもの。

新たなこと、体験したことのないことの学習は、過去の分類、ラベルに押し込んで、丸めてしまっては、新たな学び、感覚にはならない。
そのまま受け止め、そのまま感じるしかない。
せいぜい新たな表現、言語で、自分なりに表現するしかない。
それでも言語化したらすでに過去の遺物!

ましてや、同じ言語だからと、他の人と同じ概念であるはずがない!
十人十色であり、それゆえ、言葉だけで通じるわがはない!
が、コミュニケーションツールとしては、やはり歴史的大発明!

限度と危険性を知り、非言語の身体のありようとともに活かすしかない。


人間は、考える葦?

2016年5月19日 ·

人間は、考える葦である

と、いう言葉があるが、
運動においては、
考えるロボットに陥っている。

しかし、本来は、
本能(本来の能力)のまま楽に快適に動き、その快感を、感じ続けられる生物である。流れを感じ流れに乗れる自立し協力出来る哺乳類である。


意識は、身体のあと!

2016年5月17日 ·

 

思い --> 身体 --> 意識
肚 --> 細胞 --> 精神

意識が先立ち、身体に命令すると、居つきや節の元

ペットボトルを相手の手に置くだけでも、それが感じられる。


教えるよりは、伝える場の創成            2016/05/14スーラク健康教室で、学んだこと

2016年5月15日 

◎ 目的と目標

 

大目標(中目的)と中目標(小目的)
中目標(小目的)と小目標

目的は、それを直接何らかの方法手段で実現しようと思っては、駄目!
息苦しく窮屈になる。
目的は、達成するものではなく。達成されてしまうもの!そうなってしまった結果でしかない。
一見関係がないような真の目標を見つけてそこに向かう!
課題の難度を段々上げて行き、一見違うような大中小目的でも、その目標は、大中小目標は同じでよい場合もあり、ただ、そのチェックの基準と精度を上げる必要はある。それが向上となる。

 

◎ 頭よりは皮膚

 

学習、行動変容、向上、成長の初めは、頭ではない。知育よりは、体育。
体育よりは、知(覚)育、皮(膚)育。

 

◎ 真似ることの凄さ!


シンプルなことをしっかりと!
自分の現状、ありようを知る型(plan)をまねる過程(do)。
その真似る過程の中で、その差異を自ら点検、調査、確認(check)する。
そして、それを自ら修正(act)し続けて行く。そのための場の設定と気づくきっかけ作りと見守りが、場の設定者の仕事!

 

◎ 進歩、向上、成長


先に述べたように、その際の差異の精度の基準を上げていくこと。
自分で目的を設定し、目標とその指標、判断基準をクリアーする毎に自分で、適正に上げられるようになること。

自然なシンプルなことが普段、普通に当たり前に出来る。している。
健康そのものは求めない。あくまでもそのありようの当然の結果であり、症状が出るのは、健康の証!


「福は内」実践編:馬さん、鹿さん、ある、いる遊び?!

2016年5月11日 

存在・行動を承認のみで評価判断しない。
評価するなら、気持ちよくポジティブに!
そして、そうしている自分を認める。そうしている自分を見続ける。承認し続ける。

おお、いる、いる。
ああ、ある、ある。
おお、靴音を鳴らして歩いている。
鳥が鳴いている。
飛行機の音が聞こえる。おお、聞こえているんだ!
風が吹いている!感じる。感じる。

おお、調子が乗ってきた!

縁石がある。自分のために用意されている。有難い。
おお、崩れずに縁石の上を歩ける。歩ける。自分のために準備してもらっているだ。有難いな〜!

おお、道路も舗装されている。歩きやすいな!有難いな!
おお、信号もある。おお、自分を待っていてくれる!

おお、足が動いている。動いている。

仕事場のこれまでもあった時計を見て。
おお、秒針が動いている。動いている。凄いな!有難いな!
おお、見える!見える!

ちょっとおバカな感じだが、存在、行動を認めると、不思議と感謝の念が自然に湧いてくる。
先ずは、全くこれまでは自分に関係ないと思っていた、こと、もの、人、時、場に対しての方がやりやすい。楽しめる。
まー、最初の段階としては、上出来?!

結構やり始めると面白い!
これまでにない感じ!!!

これまでは何気無く歩いていた道でも、遊べる。どこまで承認できるかチャレンジするのも面白くなってくる!
元でいらずのゲーム。遊べる。遊べる。

感謝、感謝と言われるが、感謝しようとすると感謝する事に抵抗が生まれ、できない!

存在そのもの、行動を承認するっていうことは、感動すること?!
感謝の念が湧いて来てしまう!!!


ああ、勘違い、勘違い!

2016年5月10日

やはり
福は内、鬼は外!
受容は内、評価は外!

人の間も、結局は、内にあり!
対象はいずれも、過程の肯定、承認であり、自他ともその人自身ではない!

家庭円満も過程から!
円滑な人間関係も過程から!
人はどんな時も人様!
尊重、尊敬、感謝!

分析、評価癖は、鬼の元!
受容、承認癖は、福の元!

吸気は内、呼気は外
だが、循環している。
当たり前のことは当たり前に!


瞬間瞬間を楽しむ!

2016年5月8日 ·

動きは、重さの力

踵は、足の重さを支える土台
腰は、肉体の要、動きの源
仙骨は、人が山となるための骨
人は、バランス、調和する動物
人間は、他との間を保てる人。他を認め、尊重できる人。

折角のある能力
どれだけ日々活かして生きて行けるか?!
本日もその楽しい実験くん、実践ゲームの始まり始まり〜
本日も瞬間瞬間を多いに楽しもう!


人に伝えられるのは、なにか?!

2016年5月7日
痛みは、緊張の元?!

過緊張と居着きの元!

リラックスは、痛みの解放と動きの元!

相手。痛めつけている事。認知しない痛めつけをしても、それがわからないひと?!
非道?!

しかしその人にとっては、非道では無い、それが当たり前のひととしてのやりよう?!

それでは、痛めつけられた方の感覚は!?

痛みを、元に教えてくれる人?!
痛みとともに動きと認識を固めに着る人?!

痛みは強烈な刺激?!

その刺激に対してどう居られるか?!

 

  • そこで、相手の痛みを痛みと思えるか、どうか?

    痛みを覚えるのは、結局は、自分がリラックスできない結果ではあるが、だが、リラックスできない相手に痛みを与える貴方は、なに様?!


    恐らく、その人に会った途端に、緊張、苦手意識。
    痛みを覚えた人は、固まり、本来の能力は、発揮できなくなる。

    する側に回っても、される側に回っても?!

    私は、人様に対して、恐怖、痛みを与えているか?!

    リラックスと、安心を、与えているか?!

    本日は、トンコン味わった?!

    本人がどう思うが、思うは相手?!

    硬派、軟派?!

    頭では忘れても、身体は覚えている。

    痛みと恐怖を植え付ける。
    勝負の世界では、それが当たり前。
    しかし、稽古の場では?!
    日常では?!
    外からの恐怖、痛み、ストレスに対してどう在り続けられるか?!

◆ ◆ アザラシさんに学ぶ姿勢 ◆ ◆

2016年5月5日 ·

 

からだ(身・心)全体の調和
ムダ、ムリ、ムラ がない
天地人 陰陽 緊虚 重さ のバランス
ボールも、観客も、敵にしていない
自分も楽しみ、周りも楽しませている
軽いビーチボールの重さも自分の重さも知覚、認知


泣く子と地頭には勝てないが、それでもつながり、そして子供は成長する。

2016年5月5日 ·

お姫様の自我と他我

 

久しぶりに孫娘2歳10ヶ月とあった。
まだ唇の動きは不十分ながら、常に何かをしゃべっている。
お姫様でこの世は、自分の思うようになる世界のようだ!

1才歳上の子と遊んでいて、その子の持っているキラキラのスーパーボールを貸してもらいたかったのだが、その子は頑として貸してくれないということで、泣き始めた。
親がなだめすかそうとするが、そうすればそうするだけ、泣きわめく。
声も大きくなり、それがなかなかおさまらない。その子が帰った後も、ギャンギャン泣きわめき続けていた。
諦めるということを知らない!

そのエネルギーたるやどこから?!
そして首尾一貫パワフルなー主張
根気の良さも天下逸品

その状態が午後から夕方まで続いた。

で、その母親が放った一言!
『お母さんの目を見て!』
それでも最初は、そっぽ向いていたのだろう!
おそらく、母親自身がその子の目の高さで、その子にきちんと向き合ったのだろう!

二、三回繰り返すと、泣き声も低くなり、母親の諭す声も入り始めて、孫娘も返事をして大人しくなる。

最初は、いくら言葉かけしても、聞きもしない状態がずっと続いていたが、一旦、ラポール、つながりができると疎通が取れ始めたのが、声だけ聞いていても分かった!

中々人と面と向き合い、特に目を見るという場面は、そうそう体験しない。
が、単に目を見るという外見上の動作、行動が問題では無い!

意識をきちんと相手に向け、相手と向き合い、相手とつながる。一体化するということなのだろう!
そうすると、伝わるというか、受け止めざるをえなくなる。

そのつながりの中で、孫娘は、すべてが思い通りになるのでは無い。自分とは違う他があり、他のものは他のもので、自分のものでは無いし、自分の思い通りには、ならないことを学習したようだ。

昨日は、年上だから、貸してやれば良いのにと思って聞いていたが、じっと聞くともなく聞いていて、一晩寝て起きてみたら、よく貸さないで意地悪してくれた。ありがとうと思えた。

嫁もなかなかの嫁と見直した。
また、甘く育てられたお姫様のような孫娘と思っていたが、やはり、日1日と止まることなく成長してるんだなーと思えた子供の日。


日々、是、学び、気づき、人生!

2016年5月4日 
昨日は、懇親会に参加し、帰宅して眠った。

朝かなと思って起きたら、11時過ぎ頃で、まだまだ、昨日だった。

ちょっと体験したことのない、感じで、その後なかなか寝付けなく、寝苦しさを味わった。

が、そのおかげで、肩甲骨回り、首回りの緊張を自分で確認し、自分で緩められる事に気付いた。

転んでも無駄ではない、必ず拾えるものがある。

その場をどう自分に反映させるか?

日々、是、学び、気づき、人生!


歩こう!

2016年5月1日 ·

 

歩こう

頭を踵に乗せ、左右の踵が浮き沈みするだけ!

呼吸し続ける。
歩き続ける。
足踏みし続ける。
揺れ続ける。
循環し続ける。
楽ちん、楽しいを保ち続ける!

安楽安穏に
ゆっくりゆったりのんびりと

きつねも、たぬきも、トトロも

 

https://youtu.be/JfVLqnvez4U


ネコも、十匹十色

2016年4月30日 ·

十人十色とは言われるが、下記の動画には、ハラハラしつつ、非常に感動した。

三者三様に共に、あっぱれという感じ。

無視はしているが、受け入れ乗せて自由にさせている。
興味津々、今にも食いつきそうだが、ずっと触れ合い続けている。
周囲の状況がどうだろうが我感せず自分のままのびのび。

それぞれに、天上天下唯我独尊、安心安楽安寧の境地!

 

https://youtu.be/0UT6rmrr9a4


仲間は、有り難い!

2016年4月30日

 

昔の思わぬシステマ仲間と自主練習をした

その中で、改めて学んで、気づいたこと

・人は変われる
人は環境の生き物であり、環境を人が作るが、またその環境により人は作られる。即ち、自ら環境を変えられる人が自らを変えられる。
変えらるのは、自分で苦労して苦しんだからこそ!
自分自身に自分で、自分の環境を変え、自分に課題を課し、その課題に他はどうだろうが、自分で取り組み続ける人。
久しぶりに会ってその変容ぶりに感動するとともにうれしかった!
学ぶという姿勢を見せて教えてもらえた。
その言動から、次の一連の言葉につながった。

・life,light,love&calm
人生に光、希望があり、平常心(安楽安穏状態)は愛があってこそ。

愛とは、なかなか分かるようで分から無かった。
ものなのか、動作・行動なのか、状態なのか。何なのか。
あげるもの、もらうもの?
その行動をする、してもらう?
している状態。されている状態?
ある特定の人とだけの関係性なの。
博愛精神といいながら戦争している。
キリスト、ガンジー、その他の多くの人がいるが、愛って殺されること?!

受け入れる愛。受け入れない愛。遮断する愛。見守る愛。
言葉はあり、その概念もそれぞれにそれなりに、その都合により、その時々、色々あるようだ。

しかし稽古を通して、少なくても、コミュニケーションの"あるありよう"を指すものと実感された。そのありようにより癒され、崩れ、心地良い状態となる。
余り小難しく考える必要もないようだ

微笑み返し!!!

・出来る出来ないから流れの知覚認知

人は余計なことをしなければ、ゆらぎ、流れている。

武術的な稽古、練習の場でも、ある課題を設定し、課題を介して自分のありようをチェックし、計画し、行動し、評価し、変えていく。
が、一般的には、その課題が出来たか出来ないかが評価基準で、出来たらじゃー、次となるようだ。

が、出来たか出来ないかは、あくまでも結果であり、問題ではない。
問題は、その課題解放のプロセスを、理論、理屈を介した実際の生身の身体の変化過程を微細に知覚認知できるかどうか!
課題が予定の結果とならなくても(一般的には失敗という結果でも)、その過程で新たなことが知覚認知出来、それが次の実行の際反映出来たら大成功!
ただし次とはいつか?!
決して中途半端で終わり、繰り返す次が次ではない。
課題が終わるまでの過程の次に次々に反映させ続ける。
皮一枚の差を知る緻密さへのこだわり、執念深さ、一貫性!

自分が人間であり、相手も人間であり、その人間に対する人様への眼差しを持ち続け、信じ続けられるか?
疑ったらお終い!
信じてサーチし続け、流れ続けられる自分でいるだけ!

・課題を共有できて、ともに学べる人様がいることは有難い!

その課題問題解放過程の知覚認知の仕方も人それぞれに異なり面白い。
へー、そういう風なとらえ方もあるのか面白いと思えた!

人が違えば、その場の環境も変わる。
人は同じでも、その人が変われば、環境も変わり、学びの場も変わる。

学びの場も流れ続け、変化し続けてこそ、学びの場!

学びの場として居着いては、仕方がない。居着かず、悩み、学び続けられる場、課題を共有でき、そこからどんどん新たな課題が発展していく場が嬉しい!
自ら作って行くしかない。

場所は同じでも、人は同じでも。
家庭の場、職場、稽古の場、全てその場!


瓢箪から駒 求めていたものがポロリと出て来ました。

 2016年4月29日

 

和真クリニックを開業して、足りないものを求めて、医学関連では、ホリスティック医学から始まり、臨床動作法、ペアリラクセーション、自律訓練法、漸進弛緩法、認知行動療法、ゲシュタルト療法、教育動作を学び。怠け者瞑想法、アレキサンダーテクニークなどは図書で。心身統一と言うことから天風会からはじまり武術関連に興味をもち、色々と遍歴を重ね、半身動作研究会、システマさらに八光流柔術豊和会、たくみの会で、その時々で学んできた点が、なんとなく、ぶわっとつながり、浮き上がり、そして、思いもせずにした行動に結実していました。

ただ、その時はそんなもの、何気ない日常動作と思っていましたが、二日間連続で体調不良で、二日目にその落差を身をもって味わった。開放感生気の満ちた感じと、どん詰まり疲労困憊状態との落差を一晩寝て、その意味が熟成されて、なるほどと体感された。

これまでも、たくみの会で、認知不成立による、表面的には身体活動機能停止状態その実、エネルギー充填、人間機能活性化熟成状態を何度も味わい、何とか自分でも実現出来ないかと思っていた。八光流豊和会の稽古でもそれに近い状態は何度も味わっているので、自分自身でも出来るだろうと漠とした思いはあったが、意外や意外。寝不足体調不良のおかげ様。

土台は出来たので、さらに発展させていけるとの確信も持てている。


瓢箪から駒の「大の字安楽安納法」

 2016年4月29日

 

寝不足は、お肌の大敵とは、いわれる。

更に、
やる気
知覚、認知
思考
動作
も、鈍る。

その時には、
大の字に身体を開き、
解放し、
自分の呼吸、心臓の鼓動を、聞いて
15、20分休むだけでも大違い!

一番は、やはりその日の疲れは、一晩ぐっすり寝て、鋭気とやる気をエネルギーを充電するのが良い!

なかなか大の字になれることはないが、畳での大の字はおすすめである。

■ 大の字安楽安穏法

畳の上で上向きに大の字になる。
低めの枕、脊柱が首のところで急カーブにならない程度に硬めの枕をする。
雑誌か、タオルを重ねた水平枕。
(慣れてきたら、畳よりも堅い冷たい床の方が楽しめるかも)

呼吸音に聞き入る。吸気で自分の体の接地面の硬さ冷たさを感じ、呼気で緩めて、畳に徐々に身体が一体化する感じに楽に解放していく。あたたかく、柔らかく感じられるようになる。

呼吸である程度楽しめたら、次は、心臓の鼓動を楽しむ。
拍動がどこまで感じられるか。サーチする。身体で、鼓動を感じやすい部分が、ある。動脈が皮膚表面近くを通るところが脈をとりやすいところである。
最初は、部分サーチ。

うまくいくと心臓の鼓動とともに身体全体が同調して拍動している感じになったら素晴らしい。そこまで行くと、心拍動とともに次第にバターが熱で溶けるように身体の外側から溶けていく感じも味わえるようになる。

そうなったら、逆に起き上がるのが面倒になる。それを味わっていると活力もわいてよしやるぞという気にもなる。

寝落ちしないまでも、15分、20分途中の段階でもよいから安楽安穏になる。

瓢箪から駒、寝不足、体調不良2日間の体験による。
一日目は、自然に上記安穏法をしてしまい、すっきりという感じで活動。二日目は、時間がなく出来ず、同程度の活動をするが、もうぐだぐだで、疲れも倍増。

しかし、その二日間の差違実感したおかげで、大の字安楽安穏法のグレートさに気づけた。


腰に仙骨あり

2016年4月23日

 

0.3秒、0.3mmの微少な知覚が開かれると、重心は点であり、アンカーにするのも、浮沈子とするのも、バランサーにするのも、臨機応変に自由自在に出来る。

ポチャンと波紋を流し、誘導するだけで、これまでが嘘のように相手とコラボレーション出来る。

触感123も接触123となる。触れるだけで相手は緩んで崩れてくれる。なんでやねん崩し、触れ崩しなど。

動中静、静中動、浮いて沈んで自由自在。

寄せては返す波、ゆらぎそよぐ風、
捕まえられず、捕まえる必要も無い。

優しくそよぐように触れるだけ。
触れずにそよぐだけ!

相手からもらったものをかえすだけ!
頂いて感謝お礼を返すだけ!

否、返す必要も無い。
緩んで地面に、地球につながっていれば勝手に返る。

循環しているものを、ただ単にその通り循環して貰うだけ。

いやー、安心安楽安穏、 楽の上の楽、極楽、極楽。


気配は?

気配は、やる気
気配は、思考
気配は、挑む心
気配は、緊張
気配は、身体の無駄な、無理な、ムラのある動き

自然に、気配なく、流れ、巡るそよ風の様な歩きようが目下の目標!


なぞるはなぞ! 流れに乗る!

なぞるはなぞなぞ?!

これまでも、筋肉に命令しては、緊張、居着きの元であり、その当然の結果になることは実感してきた。
だからこそ、フィジカルのありようと知覚と認知が大事であり、それを磨く必要がある。
磨くとは書いたが、正確には、自分でサビびつかせてきたサビに、気づき自分でそのサビを落としていく必要がある。
その土台は、重さを感じるフィジカルのありよう!

勿論、自分の身体の重さもだが、相手の部分部分の重さを感じられるか。感じられるありようで居られるか?!

そのありようがないまま、相手が倒れる軌跡をたどって動かそうといっても無理!
相手の重さを感知し、その重さの流れに乗れるかどうか!
その流れに乗れれば、一期一会のその軌跡になる。

軌跡を自分で描こうとしてはいけない。
相手に軌跡を描かせてもらう!
相手にお伺いしない限りは無理!
その流れに乗り、結果としてその軌跡を共同作業しない限り、相手が倒れるわけがない!

僕の前に軌跡はない、共同作業の後に軌跡は描かれる。

たとえ目的意識を持ってそこを目指しても自分勝手では、無理!
一人で自分勝手ではなく、相手と和して動かしてもらい導いてもらえば、大丈夫!
見る。意識を向けることは大事!
不可欠!

形、軌跡をなぞってはいけない!
言葉を聞いて、考えてもいけない!
重さを感知し、重さの流れに乗れるフィジカルのありようで、感知し感動すれば良い!

ありようが先、軌跡とその奇跡のような極普通の結果は後!

幻の 軌跡をたどり ぶち当たる
流れるは 乗るも反るも 重さなり
なるほどな 遠心力にも 乗れるよな!


普段は?

健康も
普段が
普通なら
普通の
当然の結果の状態

 

普段が
緊張
無理、
無駄、
ムラ、
過剰ストレス、
なら、
当然身体もその当然の結果!

 

何も珍しいことは、起こらない。
当たり前のことが、当たり前に起こるだけ!
知識があってもなくても、当たり前のことが起こる。

知識がなくても当たり前のことが起こるなら、知識がなくても良い。
知識が無いと当たり前のことが当たり前と思えないなら、知識があっても良い。

でも、知識があっても、身体が芯からそうで無いと、知識でかえって混乱し悩みが増す。

やはり、ありようが元!


身体に流れあり! 電線は動かない!

身体に流れあり

こちらの流れとあちらの流れの導線、水路さえつなげば、後は流れに任せて流れ、流れに乗って、方向を少しづつ変えられる。

否、相手の流れに着かず離れずついていくだけ。

流れに触れれば流れる道筋も感じられ、見える。

電流は、電子が流れ、電線そのものは動かない。動く必要は無い!

そうめんも流れるのはせいぜい水とそうめん。
竹の筒そのものは流れない。動かない。

身体の流れも、重さの感覚、エネルギーは流れるが、身体そのものは動く必要は無い。
それでも流れれば、相手は自発的に動き崩れる。


手は井戸のつるべ! それを承認し感謝する

手は、井戸のつるべで、引き上げられて後は落ちるだけ、
頭は、滑車であり、上下移動はしない。

縦に通るとは、鉛直に前後がズレて下がるから上がるだけ。上がったら落ちるだけ!
その原動力は、つるべでも滑車でも無い。

瞼も閉じることは出来るが閉じなくても閉じる。
呼吸も吐き出すこともできるが、吐き出さなくてと吐き出される。
足も下げることは出来るが、上がったら下げなくても下がる。
手も握れば握れるが、握らなくても握れる。

地上では、そうなる!
そのような環境の元、そのように身体は出来ている。
誠に有り難い限りである。
それを邪魔しなければ良いだけ!

その有り難みを実感したら、身体も喜びより良く働いてくれる。

縦に通るありようは、その身体を承認し、感謝し、任せるありようか!


感情は、過去のラベル 今と思った時は過去

平成28年4月8日 9:56

 

感情は、0.3秒前の知覚、認知の結果の過去のラベル

ぶつけた痛みは、1秒前のドジの結果のラベル

痛みは時間とともに次第に消えていく。

感情は、寄せては返す。
うまく同調すれば、激情にもなる。
下手をすれば、瞬時に消える。

今の今って、あると思っていたが、今の今と思った瞬間やはり過去!

アチッといって、手を引いても、やはり触れた0.3秒後の後

今という言葉はあるが、今はない。
流れている。刹那刹那過ぎていく!

精々0.3秒前の過去を味わっているだけ。
星々の瞬きは、何万年、何百万年前の過去
今は無い

今とは、過去を味わうこと
直前の過去を味わうか、昔を味わうか。
そこに居着くか、次々に味わうか?!

味わい方は、千差万別!


姿勢とありよう

3月31日 22:41 ·

良い姿勢、ポジション作りより、居着かないありよう。
動ける良い姿勢作りよりは、揺らげるありよう。

赤ベコもペコちゃんも、身体は固定され動かないが、少なくとも首は居着いていない。

笑う首に居着き無し。


頑張る姿は、居着きの権現。
考えることは、過去に居着くこと。
良い姿勢作り、ポジション作りは、居着きの元、

意識は視線に現れる。
凝視は居着き。
視線が泳ぐのは、上ずり、パニック!
ゆったり浮き沈み、ぼんやり泳いでいる視線は、自由な解放された揺らいでいる証。

 

停止は死。
静止は生。
揺らぎは自然。
健康は、生と自然の中にあり。
緊張、硬直、居着きは不健康の元!
固定化、頑固、頑迷は最終段階!
外部環境に翻弄、内部環境無視は終末への近道

常に微小アンバランス、ムラ、不調和が調和であり、揺らぎ、静止、安らぎであり、健康の元!



先の先より、後の後

 

先の先より、後の後

流れが見えず、乗らないと、流れがあることさえ分からず、ましてや流れを乱し、軋轢、混乱を生じさせていることさえ分からない。
さらに混乱、軋轢を生み出した結果、自分に返ってきても、それが自分が生み出したことさえも分からない。

人との関係、時の流れ、話の流れそして自分の身体においても!

 

南無三!

流れがあることを知る
聴き続ける
流れを見る
流れに乗る
無私無心に

しゃべらない
うなづかない
笑わない
批判しない
反応しない
行動承認

 

余計なことは一切しない
飲まず、
食わず、
話さず、
言わず、
場、空気、土俵を乱さない


空気があるを信じ、
空気を感じ
空気を認知し、
空気を知る。
味わうかそっとしておくかは、後の後。

 

後の先

先の先
もあるが、


話の流れは、


先の後

口火を切って話すが、話を向ける 話す場を作る

 

話を譲る 聞く場を維持

 

後の後

話を聞き、さらに聞く。聞く場を最後まで維持し続ける

 

が、難しいのは、最後がどこか?!
表層の終わりが終わりではない!
最後の最後まで、引き出し聞いてみないと分からない。

慌てる乞食は、もらいが少ないどころか、ちりも積もれば、山となる。
人生の大しっぺ返しを当然もらうこととなる。

が、それで、初めて気づくことも、時もある。

先の先を取るより、後の後をとる方が難しい?!

最後の最後まで、聴かせて頂く


からだ は からだ

3月24日 8:53 ·

からだ は からだ
産まれた時のからだ、思春期のからだ、成人期のからだ

大きさも、重さも、柔軟さも、変わる。

変わるけれども、自分は自分。

 

からだ は からだ
前もあれば、後ろもある。
腹があれば、背中もある。
表があれば、裏もある。
手があれば、足もある。
へそがあれば、尻もある。
肉体があれば、心もある。
やる気があれば、やる気がないもある。

 

からだ は からだ
今もあるが、太古の昔からある。
時代とともに知識、情報量は爆発的に増えて、学問、科学は進む。文化文明の便利な世の中。
だからこそからだは衰えている。退化している。ゆがんで、ひずんで、機能不全。


からだ は からだ
現代でも、からだはからだである。
遺伝子でデザインされた身体はある。太古からその基本デザインは全人類皆同じ。
染色体異常はある。

 

からだ は からだ
固体といえば固体
液体といえば液体
気体といえば気体
落下体と言えば落下体
上昇体といえば上昇体
浮きつつ沈みつつある浮遊流体

 

からだ は から だ
あるといえばある
ないといえばない
実体あるようで影のよう
影のようで実体がある
意識があるといえばある。
ないといえばない。
本能、非意識、無心

 

からだ は からだ
表層を流れる川もある。深部を流れる地下水もある。
裏を流れるもの表を流れるもの。
陰陽の流れあり
順流、逆流あり

 

からだ は からだ
重さも、意識も、元気も、やる気も、身も心も、頭も手も足も、へそも、尻もある。
へそはへそだからへそはある。だがへそだけでは存在し得ない。へその境はあるようでない。
ドーナツの穴もある。穴だけでは穴ではない。
見えても見えなくとも、触れても触れなくても、聞こえても聞こえなくても、知られていても知られていなくてもあるものはある。

 

からだ は からだ
有難い貴重なプレゼント、ギフト
自然の恵み、賜物
あるがままにあって、あるがままに機能したら、どんだけすごいんだろう
そんなわくわくドキドキのからだ

 


夢と現実は裏表一体 ーー (部分)アンバランス&(全体)調和

中心から周辺へ、
が、しかし
末梢も、中心たり得る。

 

重心位置は、心の置き所、身体のありよう一つ!

重心は、揺らぎ流れる。
上るも下るも春のうららの如し!
なら
渦巻くことも、逆巻くことも可なり!

波紋が広がれる場なればこそ!

 

自分を広げ、自分も場に居る!

電磁場、電磁界、電気、電流、力
人間場、人間界、人(元)気、思い、力
人間界においても、思いが流れれば、力も生まれる。

地球とアースし、時空の場に居る。
それを受け入れるだけ!
他ともアースされ、すべてとつながり、通じている。

部分アース全体つながり


思いは重い
人は人間、人間は自然!
時も、思いも流れ、重心も浮き沈み流れる自然の理。
部分は部分であり、全体!
アンバランスもバランス
上下左右前後のばらつきがあり調和
右は、左があればこそ
部分も全体があればこそ
陰陽の和


つながれる身体ののありよう

つながるためには、自分が安心、安全の領域にあり、リラックスし、身体全体が均質で優しく柔らかく流れていればよい。さらに、自分のことより相手を感じる ことが大事。即ち、相手への心遣いや同情、あるいは配慮や共感など、相手を受容する。そのためにも、先ずは、自分のありよう!


ゆっくり、ゆったり、ゆるゆら
だが、
止まらず、遅れず、切れず


身体に任せて、抜けなくしっかり、楽に、つながっているだけ

流れていればこそ、相手の情報、緊張、緊虚のムラ、意識・動きの起こりが伝わってくる。また、相手と一体化して自分と化した相手からも動いてもらえる。相手の動きだしを受け取り、相手を導くことも、ついて行くことも、見守ることも出来る。自分と感じられるから!

 

自分は、自分だけでは自分ではない。
相手がいてこそ、環境があってこそ自分であり、活かされ、生きていける。

我欲なく無垢の身体でいられれば、触れるだけでも、気持ちよく崩れられる。

重さ、エネルギーを流し込めば、相手は、自律的に自ら動き始める。それを見守り、ついて行ってあげる。危なくないように見守り、保護する。自分だから!

 

和真クリニック健康教室 スーラクでは、つながれる身体のありよう、即ち自分のありようを身体遊びの中で、学んでいきます。


出来てもしないのがプロ!

聞くプロといえば、
カウンセラーだけ?
バーテンダー、手相見!

思い浮かぶのは、今のところこんな所だが、実際に経験したのは、本日のバーテンダー!

中学時代からの親友、現心療内科医が、学生時代からバーテンダーの試験を受けて、薬の代わりにカクテルを出すクリニックというコンセプトを言っていたのを思い出す!

その時は、その時で、そんなものかと思ったが、一杯飲み屋、立ち飲み屋というのは、それに近い付加価値のサービス業ではないか!
会社員のある面オアシス、カウンセラー!

で、バーテンダーでさえ、相手のありようを見て、カクテルは出さずに、烏龍茶を出すという。
その一言に、ひどく感銘した!

医師免許を持ってプロとしてその場に居着いてしまうと、年齢により、ありよう、身体が変化しても、相も変わらず出し続ける。

内科も。精神かも。心療内科も。

これって、サービス?

付加価値!

不可価値!!!

ちょっとXYZ!
の、今の今!

和真クリニック開業時の思いにちょっと戻った今の今!


触発の二態(瞬発と熟成)  運命の選択肢

 

刺激を受けて活性化される。
外界の環境、内部環境、人から物から、過去の体験、思いから、その時々の身体のありようから、常に刺激を受けている。

刺激があってもそれを受けるかどうか?
些細な刺激に対して過敏に過大に反応するかどうか?
そのありよう次第!

ある思いに対して、その意に沿わないほんの一言、何気ない質問、コメントという刺激に瞬間的に思いが爆発してしまう。
が、その後、爆心地にたたずまざるを得ず、虚しく、苦い。

 

一方、時間をかけて身体から染み込んでくる刺激は、じわーっと一晩夢の中で熟成されて有難く、甘露。

心が急に動いた時には、一晩寝かせて身体で熟成させてから、行動した方が良いようだ!

頭、理性での瞬発は、後悔、怪我、不健康の元!
慌てず騒がず穏やかに運命の選択をしよう!

 

それはおかしい!自分が正しい"と思った時、それも瞬時に思ってしまった時、思ったとも思わず行動してしまう時!
少なくとも3回は深呼吸をしたい。
さらに、出来たら一晩は寝かせた方が良いようだ!

それ以上、思いは込めず解放し、一晩トロトロ、グツグツととろ火で煮込むように、大らかに自分を信じてぐっすり眠ろう!

 

我心霧散真心湧出


心の作用・反作用   我心と真心

2016/03/10  8:24

 

ある一つの行為も、心のありよう一つで、変わってしまう。


変わる。変わる。変わる。

周りへの影響力が変わる。
相手との関係性も変わる。
その結果、自分に返ってくる反作用も変わる。

挨拶一つにしても!
否、
一挙手一投足すべての動作、態度は、心の現れ!

 

なるほど、心を込めるか!

心を込めると乱暴にはなりえない!
思いを込め、意思を詰め込むと、、、
挑み、争いの元!

 

思いも、意思も大事!
でも、込めるのは心で充分!
我心ではなく、真心!

正しいと思う我心は、争いの元!
真心ならず!

 

普段のありようが見え、新たなありようのありようが少し見えた朝!


ありよう雑感

2016/02/25  8:00

 

優しい手
活かすも殺すも
足の裏

 

引かないで
幼子の手に
触れるだけ

 

やろうとし
気張れば当たる
身体かな

 

浮き浮き
フワフワ
チャボンと
波紋は広がる

 

君の思い
重い知るのは
踵とは

 

優しさも
微分するほど
細やかに

 

1秒も
飛んでも1秒
細やかに

 

つながりは
知覚し続ける
思いかな

 

勝とうと
思えば負ける
だからこそ

 

落下は浮き
浮きは落下
そのスターター
重力とその反作用


何も余計なことをしない

2016/02/11  14:05

 

なにも余計なことをしない。

まず何もしない。

その場にいる。
その場を味合う。

その場を共有する。

つながる。

一体化する。

気持ち良く解放し、崩れる。

気持ち良く連れて行って貰う。

思えば、やってくれる


学ぶ事を学ぶための学びの気づき:岡目八目で学ぶ

2016/02/11 10:37

 

居着きの天才でも、いや、その天才であるからこそ、岡目八目での学びの環境が良い。

何かを為す時には、教える人(仕手)、学ぶ人(受手)、そして観察者(看手)の3つの立ち場が設定出来る。


一人で一度に全部出来れば、自分自身を高所、大局から客観的に見て判断、計画、実行出来る。メタ認知状態で、いわゆる俯瞰している状態なのだろう。

が、実際は、ある課題に対して仕手になればなったで、これまでの自分の身に染み付いたありよう、やりようが発露、発現されてしまう。自分の得意なありよう、やりようを発揮してしまう天才である。

受手に回れば回ったで、新たな事を学ぼう、受けようと思う思いとは裏腹に、やはりこれまでの天才的なありよう、受けよう、やりようがその能力を発揮してし まう。大人になればなるほど、何かに一所懸命取り組んで来れば来るほど、天才的な頑固な自分が発揮される。なかなか素直に受け入れ、受け取ることが出来な い。

 

しかし、看手だと、自分の事ではないと気楽になり、その時のレベルとありようで客観的に仕手と受手とのやり取り、攻防、ありよう、つながりよう、間合い、関係性、力の流れなどが見える。

受手の練習も大事は大事だが、看手に回った時の練習が、新たな自分と出会うのには、最近比重が大きくなってきているかなと思う今日この頃。

 

現在は、看手>受手>仕手の順が、新たな自分と出会う際の比重の大きい順と感じる!

逆に、無我夢中になり、没我に陥りやすい立ち場、状態は、仕手>受手>看手の順。その順で自分が見えにくくなり、本来の自分を発揮出来にくくなる。

目指す理想は、全体の比重が同じで、すべて同等に常に客観的な立ち場で冷静なありようの維持か! 常に平常心を保てることだ!

仕手の時も、受手の時も、岡目八目で俯瞰して見れるようになれば、学びの効率はぐっと良くなると言うか、瞬時にして、壁だと思っていたドアが、あっという間に勝手に開くようだ。最初から壁では無かったことに気づき唖然とする。

 

そんな経験の場、学習の場の1つとして、柔術、武術の稽古の場がある。

しかし、課題はある特殊環境下だけが学びの場でも、練習、稽古の場でも無い。
常日頃が学びと練習、稽古の場であるという認識とありようと姿勢が大事だ!

身体の姿勢も大事、学ぶ姿勢、日々の生活、仕事に対する姿勢。
いやいや、一々分けていては面倒。


自分の生きる姿勢、生きている態度そのものが、大事。日々の生活そのものが一瞬一瞬学びの場であり、稽古の場である。それをいかにその瞬間瞬間活かして生きるか?! 学ぶか?!

メタ認知の基本が、日本古来の「お天道様が看ている、お天道様が言うように」ということか?!

岡目八目になれた場合の自分と、没我の自分とのもの凄い「かい離」、ギャップに驚くとともに改めて自分の天才性を感じる。

しかし、それは決して私だけのことではない。居着く人、緊張する人は天才であり、幸いである。

 

2月13日(土曜日)
天才の天才による天才のための和真クリニック健康教室 スーラク:飛翔では、この3態をじっくり味わって頂こうと思います。


人と人とのコミュニケーション   人と人との間
触れるは、揺れる、振れる!

2016/02/07 14:51

 

・鏡の法則

 

相手の緊張は、こちらにも、映り、移る。
最初は、相手の緊張が映っていることが分からず、移って居ると、「何で固まってんの」と相手だけのせいにしている。が、移って居ることが映って来ると、なるほどと自分に移った緊張を自分から 解放できる。
すると相手のその緊張も解放され、重さも流れてきて気持ち良く自分から崩れられる。

逆も真なり!
相手が緊張してこちらが緊張していても、こちらが緩めば、相手も緩む。

鏡に映る自分は、虚像であり、虚像の髪の乱れは、実像の自分を直すと直る。

・親しき仲にも礼儀あり!

挨拶は、内に入る前に!
返事があって了解を得てから、入りましょう!
ドアが開いても慌てて突っ込むとぶつかります。
相手が招いてくれたら、相手の招き入れに応じてゆったり入りましょう!

 

・ハリネズミの夫婦

 

何事も間合いが大事。ほどほどに!
近づき過ぎず、はなれすぎず。
歯車も噛み合い過ぎず!

寄り掛からず、依存せず、
突っ張らず、棒立ちにならず、
ゆったり、ゆらゆら、自立する。
見て聞いて言える優しい関係!

 

・肌感覚が、コミュニケーション

 

繋がりは皮膚!
ぶつかりは、筋肉!
強烈なのは、骨肉の争い!

流れるところに、収まりどころあり、
流れ無いところが、ぶつかりどころ!

陽から陽へ。和顔、和樂
陰から陽でも、陽から陰でも、陰から陰でも、伝わらない!
いらっしゃいと陽気に受け容れ、陽気に居れば、勝手に陽気は返る。
笑う顔に、全身緩み、相好を崩すと相手も崩れる。

ただし、口先、鼻で笑うと相手は、、、、
腹から笑うと相手も、崩れる。
手先口先は、泥棒(スリとサギ)と居着きの始まり(基)!
足元から、胆からが、和らぎの源泉!
温泉も足元、腹から温まる。


天才と気付いてしまった! コペ転コピペ

2016年2月3日 9:10

 

私を初めとして直ぐに緊張し、「居着く」人は、幸いであり、天才である。

 

本日、八光流柔術の稽古をしていてコペルニクス的転回が起こった。

それまで人に対峙すると緊張し、時には目が泳ぎ、それまで出来ていた事が全く出来なくなる自分にほとほと呆れ感心するとともに、何とかそんな自分から抜け出したいと思っていた。が、そんな思いと裏腹にそう思い、努力し頑張れば頑張るほど緊張し、固まり、居着いていた。

それはこれまでシステマを初めてとして他の武術のトレーニング、稽古、練習をしていても、たくみの会のセミナーを受けていても、そうだった。
思い出すと学生時代からそうだった。そして、緊張に弱いのが自分だと思っていた。

たくみの会で身体のありようを探求する中で、既にミュラーニューロン仮説に基づく「ありようコピペ」により、一瞬にして身体の機能が開花し、というか、錆が落ち、これまでの自分とは丸で違う自分とも何度も出会ってきた。


温泉理論」と共に、「受け手最強理論」により、学ぶ際にも、する側では無く受ける側の練習が大事であることも体験し、実感もしてきていた。

が、しかし、それでも受動的であった。コピーしてもらうもの、与えられるものであると思っていた。

受け手で受ける際も自分が何かをしてその上で相手から受け、加工して相手に何かするものと受け手にも関わらず仕手をしてしまうと言う勘違いをしていた。
そのことに、やっと気付いた。

 

キーワードは「揺らぎ」、「静止」、「重心移動」、「崩し」となる。

が、具体的なありよう、やりよう、相手との関係性などは、さておき、私が自分で自分を天才だと気付いたのは、その緊張と居着きのメカニズムに気付いて応用出来た事による。

最初はどこにも居着きが無く、細胞一個一個が、浮き浮き元気な人に重みを流し込んで貰い、それを受け取ればよい。


それまでは、流し込まれて気持ち良く落下しておしまいであったが、その感じを全身で貪欲に崩れ落ちるまで味わう。崩れた後も味わう。受けの練習であり、自ら新たな身体のありようを積極的にコピペする。受け容れる。貰う。頂く。その素直さを発動させ、味わう。

 

次にそこまでの自然体でない人でも、必ず切れていて緩んでいて浮き浮きの所があり、揺らいでいる。それを感知し、先の天才的増幅システムに流して、その人の揺らぎを頂き、増幅させて、一体化した相手と共に揺らぎ癒やされる。

 

それが実感されると、相手の過緊張部分を通して、揺らぐ柔らかさをコピペして流してやると、更に相手は変わる。

一般的には、ある課題を出来ると喜び、出来ないとガッカリし、面白くなく、ふて腐れたり、嫌な気分になる。

真に体得したと言うためには、やろうと思った時にはきちんと実現出来、失敗しようと思った時には自在に失敗出来るその自在性があるかどうか!
結果が良ければ喜び、わざと失敗しよう、下手にするなどとは普通は考えもしない。
そして、失敗したくない、うまくやろうと思いながらも失敗してしまう。
これは再現性が無く、精度も低く、真に体得したとは言えない。

 

しかし、少なくとも緊張し、居着き、失敗する事は、過去これまで天才的にうまい事は実証済みである。
そう、握られようが、触れられようが、触れられまいが、相手の緊張、固まりを検知感知し、その緊張を選択し、同調、共鳴し、コピベし、増幅させ、自分自身を全身ガチガチに居着かせていた天才は、誰でもない。


そう、その天才は、自分である


後は、その天才的な緊張を、自在に失敗出来るようになれば良い。

入力、処理、出力システムは、天才なほど、しっかりある。

相手からの情報、ありようを検知感知、選択、同調共鳴、コピペし、増幅出来る素晴らしい基礎能力は、既に十二分に開拓され、磨かれ、備わっている。
問題は、情報として何を検知し感知し、選択するかだけだ!

何が目的であり、目標かだ!

そうだ、京都に行こうではない。
目的は、相手に緩んで貰い床に軟着陸して貰うことだ!
そのための目標は、自分自身が、緩んで柔らかい身体のありようを実現する。

そのプロセス、システムは、既に十二分に開拓され、磨かれて居る。それも天才と思えるほど、呆れ感心するほど!

後は、何を入力するかだ!

 

そのシステムに流していた情報は、これまでは、「緊張、心配、不安」と言う情報だった!
だが、柔術の稽古で、発見出来たことは、コペルニクス的転回したことは、触れようが触れまいが、感知できるのは、緊張だけではないこと言うことだ!

確かに緊張があり、それを拾いやすいが、どんな相手でも、緩んだところ、揺らいでいる部分、抜けて切れている部分がある。それを感知し、頂く。即ちコピペ して、先の天才的システムに乗せて身体のありようが達人(いつでもどこでも揺らげる、揺れられる、抜ける、重さを流し込める)モードになれば良いだけ!

それは、決して相手に対して何かをしようとするのではない、頂いたお礼を十分に返すだけ!
挑まず、争わず、傷つける必要も無い。今更なにもする必要はない。


必要な情報、柔らかさ、緩み、抜け、安心、安寧を相手に検知感知するだけ!
そして、それを有難く頂く。


有難くお返しする。いやいや、倍返しするなどと言うことではない。一緒にどっぷりと安心、安寧のありように浸るだけ?!

いやいや、検知ではない!
相手がそうだと認知するだけ!
相手を認め、受け容れるだけ!
余計なことはする必要は無い!
人は生まれながらに善であることを、自分が認め、それを頂くだけ!
人は和するもの、和して、揺らぎ、安心、安寧の心持ちで、ボカボカ温泉気分で、オッケイ!

 

その善のこころ、和らぎを認知し、受け容れれば、後は天才的な増幅システム装置が、勝手にやってくれる。
ハンドルを切れば、好きなところに向かえる。

緊張し、心配・不安なあなたもわたしもその増幅システムの天才である。
それを信じて、インプットする情報を「選択」すれば良いだけ!
後は、自動運転!
日産とは比べようもなく遥か昔から超素晴らしく実現している。
楽チン楽チン!


人様の身体そのものから学ぶという学び! 「量と質」、更に「練と習」との勘違い

  • 学ぶと言うことの勘違い
  • 学ぶ、教わるという勘違い
  • 失敗こそ学びの第一歩、大成果
  • 「習い性となる」を乗り越える
  • 自分の自由度が増す開聞
  • 学ぶための量と質の勘違い
  • 人間 ー 人と人の間 ー から学ぶ
  • 天からの有難い贈り物

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  • 学ぶと言うことの勘違い

勉強という事で、学ぶということを勘違いしていた。過去の知識の収集、集積が勉強と思っていた。
だが、同じ時期、同じ学びの場を共有していても、その中で、勉強ではなく自分なりの学びを学び取れる人たちがいることも薄々気づいていたが、明確には気づいていなかった。
魚を取ってもらい、その魚を釣る人を追い求めるか、自ら釣りさらに魚の生態を学ぶためにその学びの場を提供してくれる人の元で、それを自ら学ぼうとするか。
ただ知識、体験【結果】を有り難がるか。その結果を必要時に必要なだけ自分で得られるような学び方を学び自分のものとするか。
自分に他から何かを付け足すか。自分自身の自由度を広げられるように自分を開くか。

  • 学ぶ、教わるという勘違い

練習、稽古で教わるつもりでいる限りは教われない。学べない。身に付かない。

練習、稽古で、課題は与えてもらうことは出来る。あるいは、手取り足取り、言葉で懇切丁寧に説明、解説されて瞬時に新たな自分に出会える嬉しい瞬間もある。
が、しかし、それで学び取り、身に付いた事には、ならない!
学ぶとは、課題、手がかり、足がかりを元に、自分でとりあえずやってみて、失敗し、その失敗を元に、仮説を立て、実験計画を立て実践し、その結果を、さらに次の試行錯誤と仮説検証実験につなげていく遊びである。

  • 失敗こそ学びの第一歩、大成果

    失敗はうまくいかないことの発見であり、大成功!

しかし、問題は、その実験をきちんと思い切り思い知る。その意味をしっかり納得し、身にしみこませることだ!
納得しないとまた同じ実験しかしない。
時間と労力の無駄だ!
だが、その時間と労力の無駄も必要なようだ!
一回で納得出来たら、幸いであり、そういう人もいるようだ!

  • 「習い性となる」を乗り越える


しかしながら、習い性となっていることに関すること、身体の変容実験は、なおさらなかなか一筋縄には行かない。何しろそれが今の自分になってしまっているから!
人は人、自分は自分、人はどうでもやはり納得するまで、その身体変容の失敗実験を繰り返すしかない。それしかできないのだから!
でも、自分なりに諦めずに失敗を繰り返し続けていると、矢張り徒労感、疲労、無力感、やる気の消失、倦怠・虚脱感などで、もう嫌!という感じになる。
が、そこ。そここそ、しめしめだ!

確かに何をやってもうまくいかない。もうだめと言うあきらめの極地に達して観念する。
でも、その観念した時こそ、練習、稽古、学習を継続すると、面白いことが起こるようだ。

これまで、見えず聞こえず言うに言えなかったことが、見える。聞こえる。言えるようになる。

 

瞬間に!
パッと!
自分で気づく。閃く。発見する。

言葉としては、先人、先達の言葉と同じかもしれないし、オリジナルのイメージでオリジナルな言葉として出るかもしれない。もちろん、先達が言っていること、見せてくれるものとは、違うかも知れない。
しかし、明らかにこれまでの自分とは違うレベル、次元の自分に、自分で出会える。
変容、変身、切り替わりその開聞は、瞬間!


自分の自由度が増す開聞

 

知覚、認知そして行動が変わる。
誰かに何かに変えてもらうのではない。
自分自ら変わる。変われる。変わってしまう。
そうなると自分を変える自由度が変わり、広がるようだ!
自由になる。思考が広がり、発想も自ずと広がり、勝手に次のアイデアが湧いてくる。
爽快!

学ぶための量と質の勘違い

「量と質」ということも勘違いしていた。
量は、仮説も何もなく同じ失敗実験を何度も繰り返すことではない。
目的実現のための目標を達成する新たな仮説検証実験を次々と積み重ね、味わい楽しむ。無理も無駄もない。新たな楽しい実験君遊びとその結果の連続、流れだ!
その結果、ある瞬間「質」的転換が起こる。

新たな自己を練り、出会える「練」も必要。開けば、瞬時、瞬間!
しかし、開閉が自由自在な自由度の高い自分になれる様な「習」には、上記の「量」とその結果の「質」的変換が必要!
日々新たな仮説試行・思考実験こそ楽しみであり、成功!

人間 ー 人と人の間 ー から学ぶ

 

新たな自分と出会い新たな自由度を獲得するためには、相手がいると大変有難い。
教える教え合うのではない。
ちょっと前までは、相手がいると、学び合えてよいとも思っていたが、決して過去の体験、知識を学ぶのとは違う!実験の相互モルモット状態?!
実験側にもなれるし、被験者側にもなれるし、観察者にもなれる。

それをお互いのその時々の感覚を通してお互いに身体から学べる。
身体の言っていることを聞く耳を育てる訓練をして、聞こえ始めると勝手に理解が進む!
決してうまくいった状況ばかりでなく、かえってうまくいかないからこそはっきりとその失敗の原因が想定される場合もある。
その刹那刹那の感覚を知覚することから学ぶと言うか、感覚を知覚すると開かれる。

求めよ、さらば、聞かれん!開かれん!
知覚し、認識し、考えも行動も変容出来る。
人様がいるからこそ、自分という人間の自由度を広げられるようだ!

天からの有難い贈り物

 


一番のクリスマスプレゼントは、自分あるいは他の身体から聞こえるものが聞こえやすくなり、直接の接触のみばかりではなく、空間知覚、認知も、レーダーの有効範囲が変わる様に、集中と拡散のチューニングの自由度が広げられるんだと身を持って実感されたことか!
自分の知覚さらに意識も、必要に応じてより広げられる、開く。そして、一点に集中し過ぎ、固着、執着しなくて良いと安心して思える。


自分が居なくなり、視線が泳いだり、彷徨ったりしていた自分の状況も自覚でき、落ち着ける感じ。
自分のありよう次第、視線も結果!
やはり、感覚、知覚、認知、運動(思考、行動)の循環
元々、人間としての私にあるものが、やはりあるんだと気づけた有り難さ!


失敗の 意味が開けて 肝据わる


和真クリニック 健康教室 スーラク・節無し倶楽部飛翔
http://wasin.jp/enjoyclass.html


条件付けされた固定観念の固まりの自分
 ー 鎖につながれたままの象 

自我信念は創られ、固定化される。

子象の時に付けられた鎖は、親象になって簡単に千切れるにも関わらず千切れない。 その細いが強固に千切れないという思い込みにつながれている。

自分と思っている自分は、本当は自分では無い。創られた自分。思い込んでいる自分。架空の自分。

頭では分かっていたつもりでも、たくみの会の12/13のプレミアムセミナーでは、頭を棒でぶん殴られた程の衝撃を受けた。 話を聞くということも、ある一定の条件付けにより自分にも話しかけられているにも関わらず、自分に話しかけられているとも思えない条件付けがされている。 面と向かって話されている場合には比較的、自分に話しかけられているものと認識しその氣で聞けるが、向き合って居ず、背中側から話しかけられると、聞いているが、自分に話しかけられるとは認識していない自分、正面で向き有っている人に対して話しかけられていて、自分はそのついでに聞いているという認識、状況、ありようになっている。 人の話を音としては聞こえ来ては居るが、自分の事、自分に向けられて発せられているとの認識に至れない自分。
子供の頃に創られた固定観念が、大きくなればなる強固に大きくなってしまう。
そして、自然は臨機応変に瞬時に変わる事実を目の当たりにして、知っているにも関わらず、自分に関しては、瞬時に才能は開花する、しかし、瞬時に自分が変われるという事実を頑として受け入れられない自分。うまく行ってもその事実を頑として受け入れず、すぐに、元の出来ない自分を選択する自分。
これまでの勉強という教育課程においてしっかりと根付かされてしまったコツコツ努力感。ステップバイステップ方式、スポーツであれ、武術であれ、瞬時に開花することは無いという思い込み。思わされるシステム。

雨も急に降り、急に止み、虹が架かることもある。

これまで出来なかったことがちょっとのきっかけで一瞬にして開眼する。 出来る様になる。そのような体験をする事はごくごくまれであり、かつ周囲からも認められない変化の仕方。 色々な変化の仕方、ありようがあることを偏らずに受け入れられない自分。 誰がそんな偏ったこちこちの自分にしたのだろう?
図2

 

武術的な稽古をしていても、ある瞬間、ある一言でなるほどと思えると別次元の自分になれることもある。ちょっとしたコツ、理解で、ありようが瞬間に変化し、これまでとは次元の違う自分に出会うこともある。が、一瞬で元の自分に戻ってしまう。
しかし、一瞬でもこれまで出来なかったことが出来たという意味は、その能力はあり、発揮出来る証明であり、それを受け入れ、それを選択し、常に可能となる自分も選べる。
鎖から解き放つのは自分 あの鐘を鳴らすのはあなた!

スーダラ・節無し倶楽部『飛翔』       
by たくみの会メソッド 
小手先、指を通して、重さの力と調和を識り愉しむ 
2015/12/12 18-00~20:00

【目標と目的】

 

 目標は、自然法則と身体全体の調和をお互いの身体遊びを通して味わい楽しむ!
「やりよう」では無く「ありよう」。自然の理が、身体で体現出来るようになれば、大丈夫!
通常のああやって、こうやってというようなアプローチとは、異なるたくみの会メソッドに基づく和真クリニック独自の「スーダラ・節無しメソッド」により、なるようになる。
なるようにしかならない。結果は結果であり、結果をいじっても結果は変わらない。 いじる? 選択する? どうある?
 ゆえに、健康は目指さない。目的はあくまでも自分自身で自分の本来の能力に触れ、気づき、そしてそれを自ら選択出来るようになること。その結果として健康その他これまで自分に不足していたものが結果として付いてくる。疾病や、現在の不自由な、不都合な状況が変わるのはあくまでも当然の結果である。選択を変えない限りは変わらない。

小手先、指を通して、重さの力と調和を識り愉しむ

 

自分がこれまで学んで、なるほどと思ったことを【身体「ありよう」遊び】としてご案内して、皆さん自身が相互にチェックし、自らの気づきの機会、変容の場となりましたら、幸いです。
遊び1:人指し指切り落とし ー 楽にすれば楽/
遊び2:親子指テッシュ綱引き ー 負けるが勝ち/
遊び3:指先浮遊 ー 軽いものは動きやすい/
遊び4:指クロス乗せからの落下三態 ー 御中元では無く先中元/
遊び5:指そうめん流し ー 棒と綱/
遊び6:二本指回しー回らない独楽/
遊び7:暖簾くぐりーなるほど/
遊び8:エンジンとハンドルー身体と接触部/
遊び9:スーラクとはー真面目はブレーキ/程良い遊びと笑顔が潤滑油
申し込みページ:http://wasin.jp/enjoyclass.html

人間の不思議、妙:スーラクにおまかせ
問題にとらわれ、うまくいかないのが好きな我々!
問題にとらわれない! そのためには?
スーラク
意識した部位、思った部位、動かそうとした部位は、固まる。居着く。
世間一般では、その際に、その部位に how to do を、駆使して、その部分を何とかしようとします。
しかしながら、そうすればするほど、自分で自分にプレッシャーを与え、さらに緊張は増し、知らず知らず、居付きの悪循環に陥る。
目的達成のための適切な途中の目標が必要。
将を欲せんとすれば、先ずは、馬を!
肩を楽にするためには、肩は、放って置かないといけない。 例え肩を触っても、肩を何とかしようとしてはいけない。肩を介してなんとかしなければならないのは、決して肩ではない。
医療の場でも、武術の場でも、日常生活の場でも、あらゆる場で!
肩の状態、部分の有り様は、あくまでも身体のアンバランスと認知の誤差、間違いによる結果でしかない。
部分的な、結果をいくらいじっても後の祭! 結果でしかない。
その人自身のありよう、自己認識のありようを変えない限りは、一時的、表面的なことだけで、本質的には、一切何も変わらない。
このことは、1994年に開業以来、実地臨床その他の経験を通して、今は、自信を持って断言できます。
使い方よりは、使わなさ加減、そのためには、ありよう変容
ありようをチェックし、表面的 how to do では、ラチが明かないことを身をもって思い知り、現在のありようを確認し、そこから「えっ!」こんなことで、あっさり脱却してしまうのという体験の場を今後作ろうと思う。 希望する方には、自ら変容して頂く場!
一言で言うと、 スーと楽になる だけ
そんな場を、これまでの『武術を通した健康教室』を2015年11月で終了し、12月から第一土曜日の午後6時から和真クリニックで開催します!
まとめ
刹那的、表面的効果を期待して、局所の結果をいじればいじるだけ、悪循環に陥り、局所は益々居着き、固まり、具合悪くなる。 やり方ではなく、ありよう、自分自身のこれまでの思い込み、自己イメージが変わってしまう体験の場を定期的に月一度、原則、第一土曜日に開催します。 限定先着四名

スーダラ、節なし楽愛嬌健康倶楽部 by たくみの会メソッド

スーと、楽になり、愛嬌も、調子も良くなる健康倶楽部

スーラク

主催 和真クリニック 場所 和真クリニック 案内進行係 和真クリニック院長 福井和彦 日時 平成27年12月12日  土曜日 (都合により5日より12日に変更しました) 18:00〜20:00 人数 先着4名様限定 参加費 お一人様 5000円 ただし、非常に単純なシンプルなことのみであり、シンプルが故に、その内容に関してはご自身で活用される以外は『 ひ・み・つ ー 秘密』 ということで、了解された方は下記申込フォームからお申し込み下さい。

「無知の知」が健康の最初の一歩 スーラク 
まずは、気づけない。 当然、分からない。 そんな状態、状況が、日常生活習慣で生み出されている。
典型的なのが「肩肘張る」という状態。 自分では、全くそんなことをしているという気はない。 肩が凝っている。首が凝っている。そんな状態さえ本人は気づけない。 指摘されても最初は、受け入れられない。理解出来ない。 自分(の身体)が、そんな事をしているとは思いも寄らない
人が指摘しても、本人は、全く自覚出来ない。自覚がない。
身体の中でも、手、腕などは、自在に使えていると思っている。 が、 腕を上げて落下させるだけでも、かなり難しい。

例えば、何もない所で、空中で、肘を肩より少し上げて腕を落下させる

 

大概の人はすぐに簡単に出来ると思っている。 では、柱とか壁に軽く触れていて、同じように落下させることが出来るか。 さらに、人に掌を開いて壁にしてもらいそこに手を当てて、落下させられるか。 柱、壁でも結構難しいが、人が前に立つだけでも、身体は肩肘張ってしまう。頑張ってしまう。人の掌に触れておいて、そこから手、腕を落下させられることが出来るか?
重さに任せて落下させることは難しいことに気づけたら凄い! 出来ない事に気づくという非日常の場、機会は多くはない。 が、気づくと「えっ!」と驚いてしまう。
さらに、それに気付いたら、出来ると思っていたことを見直して見ると面白い。
空中に腕を上げての落下を自分の身体で感じて(知覚して)みると今度は色々と見えて来る。感じてくる。
あることが出来て、初めて、知覚、感覚も育つ。知覚出来るから出来やすくもなる。
ただし、肩肘張っているのは誰でもない。
自分が出来ていないと言うことを知る。気付かないで居たこと、知らないでいたことを知ることはガッカリするかも知れないが、 自分の身体を楽にする第一歩。 気持ちを楽にする第一歩。

我が身の、我が身による、我が身のための健康の最初の一歩!

 

そんなちょっと非日常的な遊び場で、遊んでみたい人、この指止まれ!

スーダラ、節なし楽愛嬌健康倶楽部 by たくみの会メソッド

略して、スーラク

主催 和真クリニック 場所 和真クリニック 案内進行係 和真クリニック院長 福井和彦 日時  都合により 平成27年12月12日(土曜日)に変更します。 18:00〜20:00 人数 先着4名様限定 ただし、非常に単純なシンプルなことのみであり、シンプルが故に、その内容に関しては、ご自身で活用される以外は  私とあなただけの 『 ひ・み・つ ー 秘密』 ということで、了解された方は下記申込フォームからお申し込み下さい。   まだ、タイトルは「武術を通した健康教室」のままです。

人間の知覚の妙  その一  人は木石(剛体)に非ず
我々人間は、人に強制されることは、いやである。
命令待ち世代、マニュアル人間という状態も、現代においてはあるが、それでも、やはり、誰でも他から無理やり強制されるのは嫌だろう。
さらに、直接身体を触れられ、押されたり、引っ張られたりすることは、どれだけいやなことだろう!
それも、力づくでされたら!
人間は者であっても、単なる物ではない。触れて動いてもらう際には、いやな感じではなく、逆に気持ちよく動いてもらうことも出来る人間としての妙がある。触れる、動くという人間の妙を、力の釣り合いという物理学の基本的なことから述べてみたい。
🌑 力の釣り合い
力はベクトル量であり、一本の矢印で表される。矢印の始点は作用点、矢印の長さが力のスカラ量、矢印の示す方向が、方向。この三つが力のベクトルの三要素と言われる。そして、方向に一致した直線が作用線と言われる。

一点に加わる作用線上の二つの力は、大きさが同じで、向きが逆なら、作用点はどこでも釣り合う。

また、剛体に働く力の作用点は、作用線上、どこに移しても力の効果は、変わらない(作用線の定理)
即ち、剛体の前に力を加えて引いて(A)も、後ろ側に力を加えて押して(D)も、その中間に力を加えて(B,C)も、同じである。
しかし人間には、意識と知覚のなせる妙がある。
胸に手を当てて押す場合にも、手を当てる場所は同じでも、力の作用点をずらすと、人は釣り合いが取れず崩れる。

棒を持っていても力の作用点を持っている相手の前腕の前に作用させるか、後ろ腕の後ろに作用させるかで、効果は異なり、後ろに作用させると棒を持っている人が釣り合いが取れず崩れてくれる。

接触部分が同じでも、作用点をずらすということには、それなりの知覚と意識が必要となる。人間を剛体と思って、剛体の動きしか出来ないと受ける相手も剛体として受けられる。作用点をずらすという感覚はやはりそれなりに磨かないと行けないが、でも、力の作用する箇所(作用点)を変えてずらすと、力もぶつからずに相手に動いてもらうことが出来る。譲ってもらうことが出来る。
が、基本的な知識を得たとしても、果たしてそれが実現出来るかどうかは別である。 人も、剛体にもなれる。すなわち緊張した身体のありよう。 一方、本来の人としての流体という身体のありようであれば、上記の作用点をずらすこともごく当たり前に出来る。
しかし、大概は目の前に立たれただけでも、意識してしまい、ましてや、身体に触れられたら、ほぼ条件反射的に剛体になってしまう。触られる方も、触る方も。
そのありようから、いかに本来の木石ではない人としてのありようを回復するか。 それが健康の元であり、私に取っては治療であり、医療と考えている。
「スーダラ・節無し楽愛嬌健康俱楽部byたくみの会メソッド」は、自分で自分の身体を木石、剛体ではない本来の身体にすることを目指す。

集中と拡散 ー 新たな広い大きな自分
拡散は、散漫、放漫とは異なる。
いわゆる真面目な人ほど、一つの事にこだわり、とらわれ、前のめりに、その点に集中し、夢中になり、周りが見えなくなり、熱中してしまう。
目の前の、ある一部分に、意識が集中しすぎ、ありすぎる、とらわれた状態。
遠山の目付けという言葉は、知っていても、下手をすると放漫散漫になっている!
集中と拡散という意味は、Concentration or Diffusion ではなく、
C and D であり、どちらかが、優位ということではなく、その両者が均等な按配である。
身体接触部、あるいは自分の身体前面、特定の相手への意識の集中のみではなく、相手を含む周辺環境全体を相手共々捕まえる。自分自身の後ろ部分にも、大きな体をイメージして.相手とともに周辺と一体化する。意識を拡散し、自分ではない自分をも、自分とする。
そんな関係性、相互一体化のありよう、状態が、本来の人間関係か!
間合いといえば間合い、その場と言えば、その場。その場に自分の意識が、拡張し、広がった一体感の自分もある。
狭いひとりぼっちの自分でもいられるが、その場の仲間と一緒の広い大きい自分もある。
空気の読めない自分と空気ともつながって空気を読めてしまう自分。
流れ、空気が読めてしまう楽な楽しい自分。
そんな自分のありようもある。
自分に対して、いいね! を、押せる自分!

バリアーと間
求めよ! さらば与えられん! 叩け! さらば開けられん!
見ようとして初めて見える。 得ようとして初めて得られる。 ぶつかって初めてどんな壁かがわかる!
見えている、分かっていると思い込んでいると、それ以上のものは、見えず、ぶつからず、得られ無い。
虚心坦懐という言葉は知ってはいたが、その実は、知らなかったと言うことを知って感動するとともに、恐れ入った。 素直、無心! と言うことを、狭小化、矮小化していた。 いやいや、言葉に関して、非常に無頓着だった。
それにつけても、 兎に角 人は凄い!
へー、そういう事を考えていたんだ! おお、そう言う人だったんだ! そういうことだったのか! 凄い! アチャー、勘違いしておりました。すいません。
と言う体験、経験が立て続けにあった!
言葉は誤解の元でもあるし、誤解を解く素晴しいものでもある。 その人のありようひとつで言霊にもなる事もあるのだろうし、言葉なんかどうでも、無くても、無い方が良いこともあるだろう!
人って 凄いな!面白いな!
って、思えるようになった!
本当に自分が自分を狭めたり、見えなくしているんだ。 受け皿を、狭くも浅くもしているんだなぁ!
人は怖くない。 バリアーは要らないが、間が必要。 間合いもつめたり、つまったり、取る必要はある。 取ってしまっている。
過去に人が近づいてきただけでもビビリ、何度も瞬間的に居着いて、筋肉の鎧を着て、バリアーを一々張っていたが、間合いさえ取れば、あればもういらない。ゆったりしたありようでいれそうだ!
本当に! 人様なんだ! 人間様なんだ! 人様々なんだ! 十人十色って素敵なんだ!
あるがままに見て、あるがままに受け容れる楽しみが出来た!
先ずは、すべてを受け容れる。 取捨選択しない。 余計な色付け、評価、価値判断をしない。 味わう! 有難く頂く。
バリアーがあっては頂けない。間があれば安心して頂ける。
日本は、間と間合いの文化、頂きますで文明開化した場と空気の世界なのかな!

チョキだけよりは、和顔、和体

あるものは万遍なく程よくバランスしながら活用すればよい

 

骨があるからと骨のみ使う必要もない。 筋肉があるからと筋肉の部分のみを使う必要もない。チョキが出せるからとずっとチョキを出し続ける必要はない。グーも、パーも、さらにグワシも、やろうと思えば出来る。必要ならチョキも出せる。
動いても動かなくても、皮膚表面全体は一つ。外全体でフワリとつながりつつ、中はグニャリとつながり、流れる。 内から外へ、外から内へ、 縮めば伸び、伸びれば縮む。 落ちれば弾み、弾めば落ちる。 身体は、空にもなるし、殻にもなる。 つながりも、関節のつながりもあるが、提灯のようなつながり、さらには、センテグレーションの崩そうにも全体のバランスで崩れない機能構造も身体にはある。 身体全体の調和が大切! と、いうかそういう風に出来ている。
しかし、いかに素晴らしい機能構造があっても、自分勝手な単なる繰り返しのみでは、部分疲労が増し、痛み、傷つくだけ!
身体全体の調和も大切だが、それも相手無視の独りよがりの勝手な調和は、一人相撲であり、周りとは乖離している。

もしもし、はいはいと、相手に声かけ、返事があればこそ!

 

応答なく話し続けても、何の意味もなく、成果も生まれない。
非接触でも、ノンバーバルでも、相手のご機嫌、様子を伺い、挨拶しないと、話にならない! 話のしようがない、話のつけようがない! 調和のしようもない!
まずは、もしもしとお伺いすることが大事だ! そして相手の有り様をそのまま受け入れる。受け入れてこそ和することもできる。自分の思っていること、都合を、イメージを、固定観念を相手に押しつけても何の意味もない。 それ所か、軋轢の元! 不破の元! 争いの元! 不健康の元!
地球とも、自分自身とも、そして他人とも!
右さんとも左さんとも。 前さんとも後さんとも。 下さんとも上さんとも。
もしもしと語り掛け、緩められない時、所があるのに気づいたら、どうする?
例えば、左側さんが緊張して張って緩められないなら、左側さんに命令して緩めるのではなく、右側さんに寄り添ってもらい、右側さんに左側さんと同じ状態に緊張してなってもらい、右側さんとともに左側さんにも一緒に楽になってもらう。
いやいや、そんな必要もないか。 右側さんの状態を感じて、左側さんにこんな感じと感じてもらうだけでもよい! その感じを味わえばよい。 右側さんは左側さんを、左側さんは右側さんを味わい、自分はその全体を味わう! 何かしようとするのは居着きの元、やりすぎ。

感じて味わうくらいで丁度よい。

 

普段は、あまりにも手応え、力感、やった感を求めすぎ!
何もしていない感、身体全体をサーチしてそのムラのある状態を味わえばよい。 ムラはある。 部分的にはアンバランスでも、ほどほどに働きながらサボりながら、全体としては休みながら、立ったり、座ったり、動けばよい。適当に!
身体をサーチしてみると以外と線状につながり、頑張っている。歪んだ針金人間のようだ! それが下手をするとしっかりと木偶の棒状態にもなってしまう。
マシュマロか、豆腐のように全体でふわりとどっしりが良い。 人には人型革袋に水が充満したようにも、空気が充満したようにも、自在になれる自由がある。
そんな和の身体のありようが良いな〜!

居着きのありようの現状認識とその解放に向けて、領域固有性の壁
◼️ 居着きのありようの現状認識とその解放に向けて、領域固有性の壁
人間は、凄い! カエルでも無いのに、ヘビ年生まれの人間様も、カエルにもなる。
過去の自分よりは、ちょっと次元の違うありようになった。かなりグレードアップしたかなと思え、嬉しく、自信も待て、鼻も少し伸びかかった。
すると間もなく、また、新たな難所、新たな課題、壁が現れて来た。これまでとは、違う次元に触れられる。
で、面白いと思ったのは、新たな壁に突き当たると、相変わらず、居着いている自分がいる。 蛇に睨まれたカエル状態。
で、今回は、その居着くという事、カエル状態に興味が湧いた!
⚫️ 居着いたカエルのありようの現状認識
・居着いている時には、居着いているという、自己認識が無い ・現状把握が出来ない。認識出来ない。 ・・結果としての自分自身が認識出来ていない。 自分自身はまだ生きているにも関わらず、自分で息をこらえ、息を殺して、じっと固まり動かずにいる。 勿論、体も動かないが、思考もしているようで、していない。堂々めぐりしている。 その状態が、自分自身で、認知出来ていない。メタ認知不能状態。 ・・周囲の状況も、認識出来ていない。 自分がそんな状態に陥っているその周りの状況、相手との関係性、外部環境、外観が出来ていない。 ・・自分の内の状況も、認識出来ていない。 そうなった結果の当然の自分の状態にも気づかずにいるが、自分自身でどこがどう緊張しているのか、自分の身体感覚、知覚、認知システムが、機能していない事にさえ、気づかない。気付けない。内観出来ていない。
崩れて、倒れかかっていても、本人は、倒れていないと言う状況と同じ。
迷子になった状態である。 自分がどこでどう迷子になっているか、迷子には分からない。 故に、行き先の見当すら付かない。 右に行こうが、左に行こうが、まっすぐ行こうが、全く、意味は無い。
現状把握出来ない状況に陥っているにも関わらず、相変わらず、いつものように、現状把握しようとしている。
おかしく無いのに笑おうと努力している。 無いご飯を食べようとしている。 無いお金を使おうとしている。 勘違い、虚構、妄想の中で、頑張っている。
⚫️ その迷子状態から抜け出すためには?
まずは、うろたえ、泣いて、わめいている状態を止め、自分自身を取り戻す。
人に聞く事もできる。話す事も出来る。 コミュニケーションし、情報収集する。
目的の確認、決定と、そのための目標設定をする。
親に会いたいのが、目的なら、案内所に行き、アナウンスしてもらうのが、目標。 そこに至る道を出来るだけ効率よく見つければ良い。適当に行き当たりバッタリ見つける、案内板を見る、人に聞くなど、色々とその方法はある。
そのプロセスをまとめる。
・ありようチェックと回復 ・now what be ・what target ・furture how to be
なるほど、自分でその事に気づけば、既にそこから抜け出す道は、知っている。 しかし、課題は、『領域固有性』の壁を越えられるかだ?!
そのプロセス、道は、知っていても、実際に応用する事、実際の局面で実現出来るかだ!
ある領域で、得た知識、体験が、他の場面、局面、状況で、実現出来るかだ! 知っている事と出来る事とは、違う。
カエルだって蛇に、睨まれなければ、ヤモリくらいなら動ける。 苦手な場面、ストレス・緊張場面、認知不成立場面で、実現出来るかだ!
それは、日々の生活の中で、自分のありようを磨き、維持回復し、平常心で居られるように訓練、練習するしか無い。また、その局面では、その有り様を如何に素早く本来の有り様に戻すか。
以上、個々のありようも大事だが、いつでもどこでも維持できるありようの実現が、新たな目標!
また、臨床の場で、その人のありように気づいてもらい、取り戻す手伝いの場を今後、さらに効率よく治療医療として実現したい。

溶け方の違いは、違いなのか?
氷は、熱により、外側から溶ける。 心の氷は、陽光により、内側から溶ける。
何れにしろ、溶ける環境、場と条件がそろえば、溶けるな! と言っても溶けてしまう。 物質は、環境が変わり、条件がそろえば、溶ける。 心の氷はその身体のありようが変われば、自ずと溶ける。
溶けるものも条件が整わない限りは、絶対溶けない。 絶対零度では、どんなものも溶けない。 心の絶対零度、拒絶、拒否、無視では、溶けない。
氷は、熱を与えれば、 心の氷は、相手を受け入れれば、 溶ける。
当たり前のことを、当たり前に認識して、当たり前にすれば、 当たり前の状態になり、極々当たり前の結果として現れる。
溶け方、溶けようが違っても、自然の原理、摂理が働くだけ。
お天道様は、毎日巡ってはくれるが、笑いはしない。 しかし、時には笑っているようにも、微笑んでくれているようにも、怒こっているようにも、励ましてくれているようにも、悲しんでいるようにも、感じられる。
昔はお天道様に顔向けできない様なことはするな。お天道様に恥じるようなことはするな。遊び言葉には、お天道様の云う通りなど自然の摂理に従う教え、知恵があったというか、感性があった。日本には、至る所に八百万の神がいた。
自分自身は最初から自分自身だが、凍らすか、溶かすか。笑うか悲しむか。怒り狂うか穏やかに居るか。選択出来るのは誰でもない。自分自身。 自然の摂理に従い、瞬間選択、瞬間決定できる変温変換恒穏動物が霊長類の長の達人としての人間のありようか!

『居着きは生』
武術の世界では「居着きは死」と言われ、心理の世界では、「緊張の鎧を着る」と表現され、緊張は健康にも悪い。
と、思われている。私も思ってきた。
でも、果たして、そうだろうか?
確かに現代は、ストレス社会であり、大方の方は、緊張しやすく、少しのことで、血圧を上げ、体が固まり、普段なら何事もなく出来ることが出来ずに、実力を発揮できずに残念な結果になる。
その結果に、益々自信を失い、萎縮し、更に緊張し、居着き、固まると言う悪循環に陥っている。
結果として
下痢、便秘、頻尿、赤面・多汗症、吃音(ドモリ)、チック、円形脱毛症、緊張症、肩こり、腰痛、手足のしびれ、高血圧、消化管の潰瘍、自律神経失調症。
心配・不安からうつ状態、不眠、
そこから薬剤・健康食品依存、不定愁訴を抱え診断がつかないまま苦しみ悩む
等々
それぞれの人が、それぞれの状態に陥り、それぞれの症状を発現してくる。
その緊張に対して、種々の薬物、いくつもの呼吸法、健康太極拳、音楽療法、リラックス音楽CD、催眠療法、自律訓練法、漸進弛緩法等々。
色々な方法、手段、物が現代では利用されている。
しかし、居着けること、緊張できることが果たして悪いことなのだろうか?
<< 続く >>

 


一手の教え!
・十把一絡げ
 「チリも積もれば山となる」とはいうが、それでもチリが山になっても邪魔なだけ、困るだけ。
「枯れ木も山の賑わい」といわれるが、枯れ木ならまだ使い道もある。
コゲをいくら集めてもコゲ。
しかしながら、同じ炭素でも炭であれば、石油であれば、ダイヤモンドであれば。集まったら価値! 凄い。
我々人間は、決してチリでも、コゲでもない。磨けば輝きと価値をますダイヤモンドである。
不健康な群をいくら集めても、不健康。
不健康を沢山集めれば健康になるのではない。
一人一人が健康になれば、ある母集団も健康にはなる。
また、人間にはその構造、機能、能力がある。
・十人十色
 人は、好み、思い、態度・姿勢は一人一人皆違う。その時々の社会・経済的、家庭、人間関係、健康状態なども、一人として同じ人は居ない。
同じではないからこそ、お互いを尊重し、疎通を取ることが必要であり、コミュニケーション能力の欠如は致命的。裏を返せば、コミュニケーション能力は人としては必要不可欠であり、その達人はすごい。
だが、これもやはり十人十色で、現代ではかなり表面的な特化されたコミュニケーションになってしまっているのでは。
・十年一日
 時間の流れに関しては、10年経ってもチリのまま、コゲのままでなにも変化ありませんよ。という言葉もある。
・十年一昔
 それでも、ちょっと昔は、「十年一昔」といわれた。
環境の変化は確かに!
便利なグッズがあふれかえる文明としての変化は、今は進歩が激しく五年一昔どころか、一年一昔かも知れない。
環境の変化すなわち人間そのもの以外に関しては!
昔は、人に関してもその間に大きな変化、成長があり、あった。
だが、今はどうだろう。
 便利な物質分明なだけに、自分自身を磨き、その能力を開花させるという機会、場、流れがあるのだろうか?
 確かに、ばい菌さん達、ウイルスさん達は、これでもかこれでもかと鍛えに鍛えられて、強くはなり、多剤耐性菌、ワクチンなど目じゃないウイルスさん達が蔓延してきている。
 一方、人間様はどうだろうか。抗菌、無菌と外部環境が良くなれば良くなるだけ、非力、脆弱、情けなくなってきているのでは?
・一瞬先は闇
 そして、その当然の結果が起こって、結果だけをみて、一瞬先は闇だという。
・一瞬先は光
 結果だけだったら、闇のこともあるかも知れないが、光という結果もあるだろう。少なくとも毎日は、夜になれば、日は暮れ闇はおり、朝になれば、光に満たされる。余り珍しくないことが、人類が発生する有史以前から繰り返されている。
・一瞬先も今
 時間に関しては、光も闇もない、これまでも、これからも、一瞬先も今しかない。
・失敗は成功の元
 その一瞬、一瞬にきちんと失敗を積み重ねて行けば、電灯も発明され、結果としてLEDともなる。
成功の前には失敗しかあり得ない!
いや、いや。
失敗こそ成功!
失敗のない、壁のない、ステップのない進歩はあり得ない。
・一を聞いて、十を知る。
 きちんとしっかりと失敗を失敗として次から次へと新たな失敗を繰り返えししていれば、ある瞬間、それまでの悩み、苦しみ、苦労が一瞬にして霧散する時が来る。
武術的な設定でのたった一握り腕を握られただけでも、求めて失敗し続けて来たのであれば、無心の内に解放される瞬間が来る。
 分からない、分からないと思っていても、学び続けているとそれまで不明だったこと、つながらなかったことが瞬時に腑に落ち、つながる時が来る。
 チリもただ集めるだけで無く、高圧、高熱で、強烈に圧縮し、結晶化させれば、ダイヤモンドになる。さすが、文明! さすが、人工ダイヤモンド。
チリでさえも!
ましてや人様は!
人にもその過程とシステムは必要だ!