スーラク健康教室 2018/09/08

物を介してともに学ぶ! カミの教育学習システムを体験

 

名刺1枚だからこそ繊細に課題を提示でき、共有でき、これまでにない感覚をシンプルに伝えられ、味わって貰え、しっかり深く考えて認知の変容も起こりやすい!

 

これまでの身と身を介しての課題提示よりも、学習、認知変容は起こりやすい!

 

ある面相手にショックを与え、これまで以上の認知の変容を引き起こしてしまう。そのことに、こちらもショックを受けた。

 

認知したら、後はこれまでのしょうも無いことをしようとしない学習。

考えない。

自分を信じて任せる。

始まる時には終わっている。段取り九分九厘!

 

新たなありようを伝えるたくみの会の最新学習法の威力を実感した。

 

重さの力も、作用反作用も、負けるが勝ちも、つながりコミュニケーションも、フロムセンターも伝えたいことがちょっとの工夫で提示できる共有出来る様になる。

 

その後のありよう変容は、変容させられるのではなく、自らの認知の変容となり、こちらがでは無く、自分でこれまでの自分の認知を修正する場となる。

その学習効果はこれまでとは雲泥の差!

 

いつものlateS氏とのマンツーマンだったが、それだけに彼に特化して、彼が持病と思い込んでいる腰痛に対しても彼自身がこれまでにない認知の変容が出来、歩くのも坐るのもましてや立ち上がるのも辛い状態が嘘のように抜け落ちていく様は爽快であった。以前にも少し動いて貰い嘘のように身体は変化する体験は何度かしているのだが、自分の身体に対する認知が変わらないためひどい腰痛を何度か繰り返していた。

そのひどい腰痛が幸いしてか、この健康教室を気に入ってくれ、仕事が忙しくて、例え1時間遅れても毎回出席する彼であり、正に本日は腰痛様々の学習の場であった。名刺遊び学習後の哺乳類の歩きよう、Verticalもものの見事に決まり、同じ時間でもその中身はこれまでの教室の2,3倍、いや、これまでの健康教室の総時間に匹敵するのではと思えた。

 

なるほど、ビゴツキーの学習理論(媒介性理論)を体感、実感した!

 

 人間の活動とその発達は、身体活動、精神活動のいずれにおいても、どういう道具をどのように使用するかに大きく左右される。

主体が対象に直接働き掛けることで起こるのではなく、そこには道具の媒体が必要となる。

 

この三角形媒介性理論は、彼の最近接領域(ZPD:Zone of Proximal Development)と共に、開業し武術関係に興味を持ち、教育動作を学び、自分なりに「身を介した認知行動変容リハビリ療法」ということで、理論構築しようとしている中で行き当たった概念である。

このZPDは、 問題解決において援助無しで達成できること[A]と、

援助があれば達成できること[B]との差の領域。

現在の発達レベルと潜在的な発達レベルの間の領域。

失敗したり成功したりする思考錯誤を維持することが適切な最近接領域の設定につながる。教育の本質的な特性は、最近接領域を作り出すことであり、認知の発達は、本人にとっては学習、援助者にとっては教育であると思って教育動作を学んだ。

このZPDは武術関連の稽古をしていても、教育動作をしていても実感しやすいもので有り、その場を作るのがリハビリであり、診療であり、治療だと思っていた。

 

しかしながら、上記の三角形媒介性理論は、なるほどなとは思うことはあったが、それがどれほどの意味を持っているのかは、実感されずにいた。

しかし昨日の健康教室における名刺一枚での学習の場は正にその極地であり、その理論に初めて出会い、認知した思いであった。

 

その学習課題が、繊細で緻密であればあるほどこれまでの粗い乱暴な認知と行動がどんどん精鋭化されていく。正にカミ技の学習システムであった。

 

名刺一枚を通して色々と課題が設定出来、身体感覚を拓いていくきっかけになり、自己に対する、相手に対する、彼我の関係認知を改める認知変容リハビリのシステムである。その後の認知の変容が容易になっていく。

 

受けてビックリ、やって衝撃! 音速を超えた学習の場であった。

 


スーラク健康教室 2018/08/11

■ ■ 身を介した認知行動変容遊び ■ ■

 

本日は、常連のlate S氏とマンツーマン

 

先月の「認知の心理学 ((c)たくみの会)」の総論に引き続き、本日はそれをさらに身を介して学ぶ一時となった。

 

我々は知識と体験を通しての実感との間に意外にかい離がある。

 

頭では一通り理解した積りにはなるが、それが体感を通してしっかりと身体と合致していないと実際面では机上の空論となる。

 

結果として、認知無くして行動無し。適切な認知により初めて適切な行動。不適切な認知からは不適切な行動。であり、その結果は当然の結果となる。

 

 

まずは、理解したと思っているその認知のメカニズムを実際の身体運動、動作を用いて、認知していないこと、理解したと思っても思っているだけで、実際の身体認知とのギャップがあることを確認。

 

課題としては

・裏/表 :外骨格と内骨格(甲殻類と哺乳類遊び)

・負け続ける:棒を介しての従順な犬の散歩遊び

・正三角形の切り抜き遊び

 

主語も、述語、目的語も不明確なまま何かをしまくっている現状確認

 

そして、エンジンとハンドル、アクセルとブレーキによる無理ムダのない運転を例題にプロセスに分解しての身体崩し遊び

 

しかし、それで成功しても思考しながらの再度の繰り返しではうまく行かない体験を通して、余計な思考はムダであり、邪魔にしかならない事を体感して貰う。

 

そして、認知を変容すれば、行動も変容すること。当然結果も異なること。

人に転がって貰うのには、ムダな筋肉運動は全く必要が無い事。自分自身に対する、相手に対する、そして相手との関係性に関する認知をちょっと変える。認知シストするだけで全く手応え無くうそのような結果となることを体験して貰う。

 

車は急に止まれないが、蝶々も急には止まれない。

 

認知を認知するからだのありよう認知!

 

蝶々が止まるだけでも、そよ風が吹くだけでも十分である。

 

認知症でも無くても認知症? でも、やはり、認知症より認知っしょ!!!

 

 

不認知の不認知、認知の不認知。さらに不認知の認知、認知の認知。

 

自分が自分の現状認知と自分のありよう認知と近未来認知。はじまる前にきちんと未来認知しているかの認知を確認しようとするかどうだけ。

 

しっかり認知よりはなんとはなしの認知。程ほどの認知が良い認知であることを身を介して遊びながら確認。

 

その中で、自ずと時空の認知、景色の認知も重要であることが織り込まれてきた。

 

程ほどの適当な認知が良い感じの認知。

必死の認知は必要ない。