何が人間か?!
感覚、知覚、認知が相互に共有出来、信頼出来、安心、安寧、平穏な心持ちとなり、うれしいという快感覚を持てることが幸せ、幸福である。
また、その幸せの場を提供するのが愛する事であり、そのありようが愛か?!
その快感覚を得るまでのプロセスが癒すことであり、愛するという行動、その結果が愛という快感情で、自然体という健やかな身体のありよう!
いつでも、すべてを受容し、支持し、保証する承認プロセスが支持的精神療法であり、自学自習であり、そして治療する、癒す、愛するというプロセスである。
その愛の終了感の連続が平常心であり、愛情という感情のありよう。
愛するとは自分基準の自分の思考認知と行動であり、その当然の結果が愛である。
相手の感覚、知覚、認知、行動は相手のもの。相手の反応、結果がどうでもそれらの反応、結果を含めて承認することが愛することであり、その結果が愛。
返報性の原理:
おはようにはおはようを、握手には握手を、ハグにはハグを、目には目を、歯に歯を、憎しみには憎しみを。
微笑みには微笑みを、愛には愛を!
夾雑物に惑わされて、感覚、知覚、認知が遮断され、鈍麻され、勘違いしている限りは不純で濁った状態で現実がピュアーに認知出来ず、ゆがんだ誤った現実認知となる。
夾雑物としては、正義感、使命感、義務感など、さらにはややもすると親心、親切心、功名心、下心なども下手をすると表面的大義に隠れて、勘違い、思い違い、こだわり、押しつけ、強制などともなりかねない。
一途は恐いもの知らずでもあり、恐い。 ある面ピュアーだが、スポットライトが当たっている部分は鮮明であるが、周囲が見えなくなり、客観的な現状認知が出来ない状態に陥る。一途なだけに!
熱心、夢中も同様である。目的、目標が薄れて消えてしまう。
一生懸命も、頑張る、勉強するも同様の危険をはらんでいる。
思い入れ過ぎず、氣楽に、素直に、ふっと、フワーとライトピュアーな感じが良い感じ?!
愛情深くなるとは、自分のその受容力、受け皿を広く、深くすること、通常のありようとすること。
そのためには、先ずは、何が何でも、自分自身を素直に愛おしみ、自分自身へ支持的精神療法をすることであり、受け入れることであり、愛することである。
叱咤激励は要らない。
認知思考システムを機能させ、Pdc012aが回るだけ。
失敗はない、すべてはトライであり、実験であり、検証である。仮説も未来も止まることはない。
空気を裂かず、空気となり、空気を癒し、時には無風、時にはそよ風となる。必要時は台風の目ともなれる変幻自在の受け皿になる。
器の大きい、愛情深い人間とはそのTPOに応じて、器に入るもの、のるものをすべてを承認し、そっと包み、そっとのせて、保持し、維持するがそれ以外余計なことはしない。入るもの、のるものは受け入れ、のせる。そして溢れ出るもの、こぼれ出るものは溢れ、こぼれる。
受け皿は受け皿。せいぜい洗い清め、拭き清めるのみ。
受け皿は受け皿であり、食器洗い機でも、洗剤でも、乾燥機でもない。
でも、人間という受け皿は自分自身と他人とで芋洗いし、お互いにこすれ合い、磨き愛をする事が出来る存在である。