失敗行動の認知思考システムからの分析


1.為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり

2.為せば成らぬ、為さねば成る何事も、成らぬは人の為すなりけり


 我々、人間は、普段何気ないことは何気なくこなす高等動物としてこの地球に生息している。

しかし、脳梗塞、脳出血そして事故などによる脳損傷を受けると、人間らしい高次の機能が損なわれ、高次脳機能障害という状態となる。

 その中で、いわゆる巣症状として、失語、失認、失行という症状もあるが、社会生活上特に問題になるのは、記憶障害、注意障害、遂行機能障害、社会行動障害等の認知機能障害である。

 それについて、たくみの会独自の「認知の心理学」に基づく、認知思考循環システム(私の勝手な命名)に基づき、その病態、状態を見直してみると。

 

 認知思考システムは現状認知、目的認知そして目標認知という未来循環と、仮説・検証を含むPDC1C2A現在循環という二つの循環からなる大循環がある。肺循環と体循環が合わさって全体の循環になるのと同じだ。

 失行の中でも、観念運動失行というのがある。物を使用しない単純な運動や習慣的動作を意図してやろうとするとそれまで出来ていた事が出来なくなる。良くあるのは、練習では出来ていてもいざ本番となるととんでもない状態になってしまう。意図・努力無く、何気なくやれば出来ることが、意識すればするだけ出来なくなる。人前に出ると歌ったり話したりも出来なくなる。

人に見られたり、良いところを見せようとしたり意識するとドジを踏む。あるいはぎこちなくしか出来なくなる。それは頭の機能と身体機能が絡み合い、分離が出来ず、頭が体に命令して、体の仕事に口を出し、体に任せられなくなる状態。即ち頭と体の分離不全状態であり、それを意識すればするほどひどくなる。人は人、頭は頭、体は体と分離し、普段通り、任せるところに任せたら、一々途中で引っかかること無くスムーズに出来る。 特に脳に器質的障害を受けていなくても、普段の日常生活上でも良く見受けられる。また、それで苦手という意識を持てば持つほど、うまく行かなくなる悪循環になり、苦手意識とという結果になる。

 しかしながらその意識といった場合、その意識の向ける先、矛先が違っているからこその当然の結果である。過去の結果ばかりに意識を振り向けても致し方ない。

さらに失敗を招く要因を認知思考システムに則り、分析して見る。

 ボッとして歩いて居るとつまずいたり、ぶつかったり、周囲の状況が把握出来なくなり(図 xPS)、周囲の変化に対して反応が鈍くなる。また、足をぶつけてもその時には痛みも感じなくなる時がある。

それは知覚遮断状態であり、感覚情報が頭の働きの知覚に昇らず、それ以降の認知、行動が伴わなくなる。感覚の感度、鋭敏度はその人のその時々の状態により異なり、その人なりに知覚遮断をしっかりすると思考も停止し、全く動けなくもなる。意識するしないにかかわらず、人生における種々のイベントで、非日常的状態、刺激にさらされると常とは異なる感覚知覚鈍麻状態となり、行動もありようも変化する。

常日頃「わーこの人凄い達人だ」と思う人も、やはりそれなりのライフイベントに遭遇すると鈍麻状態に陥る。逆にとても人間らしいことだとも思える。

その上手い応用の仕方としては、どこか痛いところがあったら、その場所でも他の場所でも触れて、圧迫して、そのままの圧を維持すると最初の圧の刺激が慣れにより刺激とならず知覚遮断状態となり、痛みの知覚も鈍麻する。図①

 感覚→知覚→認知→行動、さらに次の感覚に巡る認知行動循環で、さらに面白い現象としては感覚はそれぞれしっかりと知覚されても、その知覚が不統合だと認知が成立せずやはり行動が鈍麻あるいは停止します。そうなると現状認知が出来ず、自分の体が傾いてもその感覚、知覚、認知も麻痺して傾いているという認識に至れず、崩れてしまう。すなわち、思っている自分と、実際の自分とに大いなる差が生まれる。自分の体だが自分で自由が利かなくなる。図②

 また、このシステム個々の障害により適切な行動が出来ない状態すなわち遂行機能障害を引き起こすことも出来ます。

 目的がはっきりしないと迷走状態となり行動も思わぬ結果となる(図xO)。逆に目的(オブジェクト)を明確に志向すると行動もシャープとなりクリアーに遂行出来る(オブオリ)。

 目標がはっきりしなくなる(図 xT)と向かうに迎えず路頭に迷い彷徨う状態となり行動も停止する(陽炎)

 計画を立てられずあるいは立てても大雑把すぎる(図 xP)と、やはり適切なプロセスで適切な行動が出来ず頓珍漢な行動を繰り返すこととなる。失敗、ドジの連続となる。

 さらには例え適切な計画を実行に移しても、それが計画した通りの行動なのかどうか確認(図 xC1)しないとまたまたとんでもない行動を繰り返すこととなる。思って行動しようとしたことと実際は違う行動をしてしまう。

 そして計画通り行動してもそもそもその計画が適切な行動で無ければその結果は期待したものとは当然異なる結果となる(図 xC2)。人に緊張、プレッシャーを与えたくないという思いで静かに、優しく声掛けをしたつもりでも、受ける側が思っていた以上に緊張して、それが過激な刺激となる場合もあり、相手の緊張、恐怖を誘う場合もある。自分基準で無く相手基準で計画を立て直し、実行する必要がある。即ち、結果をチェックして計画の是正をする(PDCAが回る)必要がある。

 以上、遂行機能障害も決してある特定の病的な症状では無く、日常生活でも極普通に、繰り返し起こっている現象で有り、失語、着衣失行などはやはり病的というしかないが、それでも驚愕した時には声も言葉も発せられなくなる場合もある。また、観念運動失行などは極々日常茶飯事に見られる現象であり、特に病的という程ではなく、日々の日常はほぼその繰り返しかも知れない。

ゆえに、 

 

為せば成らぬ、為さねば成る何事も、成らぬは人の為すなりけり

 

とも言える。というか、日常生活ではこの方が普通なのかも。

 

 しかしながら、そのことを理解し応用すると人との関係性、コミュニケーションそして人の行動には大いなる影響を与えることが出来る。

 人を変えることも、動かすことも出来ないが、しかし、その人自身が自らそうなるような環境を設定し、提供することは出来る。即ち、間接的にその人の行動変容させることは出来る。

逆にその失敗行動の原因を自分自身がしっかりと理解し、対応出来る様になれば、物怖じせず、苦手意識も軽減させ、行動がスムーズに滑らかに出来るようにもなる。

 それには、長年習慣化した自分の感覚、知覚を開き、認知の判断基準を新たにするために人間について学び、その思考システムを訂正、修正、向上、成長させ、何度か新たな回路を巡らし疎通を良くし習塾して行く過程も必要となり、時間も掛かるが、一歩一歩、成長回路を回し、習塾回路を回して育てて行く必要がある。行動は一瞬にして変わる事は出来るが、それを身に付け、普通にするためにはやはり練り習う必要があり、時間も必要となる。しかし、その時間は思い知りようが大きく影響する様だ! 

本当に思い知らない限りは中々これまでの習慣(過去)を捨てきれず、繰り返してしまう。真に思い知り、新たに身をもっての学習を受け入れ、その時々できちんと認知思考システムを回す必要がある。

即ち、運動ゾーン(失敗、ダサイクル)から認知ゾーン(成功、成長サイクル)には一時的には瞬間的に切り替わることは可能だが、それを習慣化安定化させるためには習塾(達人)サイクルを育んで行く必要がある。

常に認知ゾーンで、成長サイクルからさらに習塾(達人)サイクルにいたり、初めて、

 

為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり

 

という事になり、人間本来に達した人、達人となる。