自分という意識体


 人間についてこれまで学びながら、自分という人間は特別な存在であり、他の人間とは異なるという認知がかなり厳重にしっかりと認知されて来ていたようだ!

 自分は自分で、他とは異なり、特別な人間だと。

確かにある面、その通りと言えるが、ただ、自己中心的にでは無く、客観的に見たら、自分も他の人間と同じ人間の一人なだけであり、特別な特殊な人間ではない。取り立てて尊敬すべき人間でも、取り分け卑下しなければならない人間でもない。77億人のうちの一人なだけ。 

 もちろん、生まれ育った環境、生きて居る社会、経済状況など一人一人異なり、食べたり飲んだりするだけでも十分出来ない人達もいる。小学校に上がっても、一度も学校に行けない子供達もいる。惜しまれつつもあっという間に亡くなって行く人達もいる。

 そんな中で、丹田、肚、意識体という概念に浸っていて、自分というものに関してなるほどなと思えたので、ここに記しておく。

 これまで自分なりの強迫的固定観念があり、人生を選択し歩んできた。例えば、自分はこんな人間だ、信念だから曲げられない。そんなことは出来ない。なんでそんなことをするんだなどなどこれまで、かなりの場面と頻度で他からかい離して、遊離して狭い生活環境で幸いながらも暮らせてきた。その不自由さ、頑迷さには自分ながらも気付いてもいたが、中々そんな自分を受容し、解放出来ずに来た。しかし、ここ和真認知楽習塾の人間原論にその時々学び気付いた事を書いて来て、そして現在の新型コロナ感染症に対する緊急事態宣言の中、自分の生活環境も変化し、コンセプトという存在概念に行き着き、意識体という認知もされて来て、はたと気付いた。決して、丹田、肚という限定された概念ではない。自分という人間そのものも意識体であると!

 自分も意識体という認知のメリット。

  1. これまでの固定観念化された自分ではない、未来に向けての意識体としての存在である自分なので、これまでになく客観的、科学的にその存在を認知し、対応する事が出来る。
  2. その主体の認知変容に伴い、その実体による行動変容により生み出される成果(客体)もこれまでとは異なる。
  3. これまで中々コントロール、マネジメントが困難だと思い込んできた客体(気持ち、気分、感情、態度、情動、思い込み、精神的ストレスなど)は結果であり、その因の認知を客観的にモニタリングして、早期に効率良くデザインし、マネジメント可能になる。メタ認知機能が発揮されるようになる。
  4. 出来上がった過去の遺物では無く、未来に向けて変容、向上、成長している途中の自分という人間存在であり、自律的にコントロールされ、本人が自立してマネジメント出来る存在である。

 

なるほどな 我慢の剣 劣等感  

 なるほどね 自尊は他尊 自主自立

  なるほどと 納得される 認知かな