今更ながらの前腕落下の勘違い


 人間をどのように捉えるか、これまでも色々と思考錯誤してきたが、そう捉えたらそうで有り、認知の仕方いかんである。

しかしながら、その中でも、意識体という観点からも最近は人間と自然(重さ)そしてシステムとして下記の様にシンプルに捉えられるのではないかと思うようになった。

 構造と機能即ちシステムとしてはつながりと分離であり、分離しておくべき第一は頭(過去・未来)と身体(現在)、第二は中枢(肚)と末端、第三は重量質量(鉛直情報)と慣性質量(水平情報)の3つ。

すなわち、力の源泉でもあるが、要は情報の分離と基本要素の適正な認知。即ち、重さの力も、鉛直情報と水平情報に分離され、その基本因子より再構築出来る。

すなわち、inner line , outer line , center lineを如何に精緻に精微に感覚、知覚、認知し得るか?

力の源泉は、重力(鉛直情報)と慣性力(水平情報)の2つ。それを基本にして電磁気力もあるが。

 人と人との関係においてはそのラインシステムが如何に自他を支えるか、支えないか。

広くても肩幅で、相互を支え合ったり、支えなかったりするだけ。

 この人間ライン構造と機能においても、感覚刺激としては、時間当たりの距離(dx/dt)と時間当たりの圧(dp/dt)が、外観、内観の感覚、知覚となり、その感度の鋭敏度により下記の様なイメージとなる。即ち右側に行けば行くだけ認知ゾーンが繊細な状態でクロック数も高速になり、より少ないdx/dt,dp/dtで情報伝達が可能となり、認知も高速に鋭敏に可能となる。即ち、運動ゾーンから認知ゾーンへの1つのモデルである。

 実際に人間の動作を、勘違いしたらどうなるかは自明の理ではあるが、じゃ、普段の生活で、本当に自明の理として理解され、実現されているだろうか?

 指を摘まむ時に、肘、肩まで力んで収縮(屈曲)させる必要も無いし、手を握る時も同様、肘、肩を張る必要は無い。肘を伸ばす際にも上腕の伸筋群をゆるめれば、前腕は自らの重さで落ち延びるしかないのに、それでも伸ばすと言いながら肘、膝を力んで、屈曲させ固めている。

それで、前腕が落下する訳もない。

 私自身、つい最近まで下図の中枢固定①が、前腕の落下だと理解し、それなりに落下させ、肘を伸ばすことは出来ると思っていたが、いやいや、まだまだ不十分であることをこれまでも体験、実感してきたが、あまり意識に昇らせずにスルーして来ていた。

 腕はどちらかというと剛体と捉えやすいが、ただ、皮膚レベル、液体として捉えれば、その部位、部位毎の重さを念頭に置くと下図両側固定②となる。普段のレベルでは見えない、感じないレベルである。即ち、重さは下、刃筋を立てて切り落とす。あるいは意識を通して切り落とすという下図③のイメージとなる。

 生体におけるライン(皮膚、その他)は重力質量の連続体であり、個々の部位には鉛直成分(重力)と水平成分(慣性力)が常に作用しており、両端を止めたら線分ではなく、懸垂曲線であり、その片方の固定をオフすると(オフスタート)、それぞれの部位が自由落下し、勝手に刃筋は立ち切り落ちる。余計な力、筋力で邪魔をしない限りは。

そして、落ち切ったら鉛直線上に直線となる瞬間もあるが、その後、ゆらぎ曲線となる。

 即ち、ラインに意識を通すとは水平方向を認知し、それを活かすと言うことで有り、ラインも刃となり、刀ともなる。

 棒、腕、刀の落下の中にも水平成分で触感123を含ませる事も出来る。ただし、そこでまたはたと気付いた。物理数学での力のベクトルと、認知の心理学における感覚のベクトル違いについて。力のベクトルの要素は力点、作用点であるが、感覚のベクトルの要素は、接触(力)点、感覚(作用)点である。

即ち、力のベクトルは、作用点が異なっても同じベクトルと考えられるが、感覚のベクトルにおいては、本人の身体中心から身体の前に知覚されるか、後に知覚されるかすなわち感覚点が異なると異なる知覚、認知となる。

さらに力のベクトルでは直交する2つのベクトルは1つのベクトルとして表され、逆に1つのベクトルは2つの直交するベクトルとして表される。が、感覚のベクトル(認知の心理学)に置いては、ある感覚点をポイントし、感覚を生み、そこに直交するように、相反する感覚ベクトルが働くと知覚遮断となり、その垂直方向にその感覚点を動かすことが出来る。

 また、円の原理は認知の心理学による感覚ベクトルの結果と考えられる。

下図に示すようにある向心力に対して反対側への感覚ベクトルを働かせることを考えたら、結果として水平成分は釣り合い、鉛直成分の影響が認知に反映される。

 その鉛直方向にも触感123を起こすことは出来、感覚、知覚、認知を緻密に精微にして行けば、接触部のみで円の原理も、触感123も可能になる。それも力は要らない。鉛直と水平方向の情報操作するのみ。コミュニケーションのみで、動きだし、誘導し、位置エネルギーを放出してもらえ、浮きも沈みも掛けることが出来る

 

 

 

 鉛直成分は指一本の重さ、拳の重さ、前腕の重さと色々なレベルで導入出来、水平成分は意識を通すのみで水平成分を生み出せる。もちろん必要最小限の筋力も役立つ。即ち、切り落としつつ水平に払えば、スプリングで跳ね上げれば(作用、反作用)、三次元で自由に動ける事となる。

 人間のライン構造とは決して直線のみとは限らない。ラインの認知としては物の落下としては放物線、直線の動きに対して円が、身体のありようとしては懸垂曲線なども空間認知として持てないと、人間本来の感覚、知覚も誤った認知となり、誤作動を起こす元となる。