人間は考える葦であり、知的動物①であり、感情の動物②でもある。 すなわち 知情意の動物 である。


 我々人間は、

認知行動で未来を開き良循環①の知的動物ともなり、

知情意で過去に閉こもり悪循環②にも陥ることも出来る。

2つの相反する循環を巡らすことが出来、その両輪があるからこそ生きている。

 

①は認知ゾーン(成長・習熟化良循環)であり、

②は運動ゾーン(疲弊・固定化悪循環)である。

 

①は未来・感覚・知覚・認知・行動循環であり、

②は過去・知情意・感情固執悪循環である。

 

 

①は未来に向けて ②は過去から過去へ

の認知or知識で、

自律的(①)、恣意的(②)行動となり周囲からの反応もあり結果が出る。

その行動・結果の体験、あるいはその繰り返しが経験となり

感情が湧き、さらに情動となり、突き動かし、

それが意味を持ち、意識となり

そしてさらに知識を固定化し習慣化し循環する。

 

閉じているからこそ、開ける。

クローズしていることに、気づきさえすれば、オープンすることも出来る。思考さえすれば、自ずと行動となり、結果は付いてくる。

 

 

行動しようとしない。思考するのみ。

 

行動しようとする思考(行動思考)はクローズし運動ゾーンとなり、

思考しようとする思考(思考思考)はオープンし認知ゾーンとなる。

あくまでも思考の結果である。

 

 

過去の知識およびその時々の感情、情動その物が悪いと言うことではない。

それらは、主体者が思考し、その実体が行動した結果の産物であり、客体である。

そこからさらに意味を持ち、意識も形成され、ある程度固定化されてくるが、そのこと自体が悪いのでもない。固定化され固執し、強迫的習慣となる場合もあるし、一方成長し習慣化され身に付き適切な習慣となる場合もある。生身の身体以外に意識(空間)体も育てられる。

当然そうなることを継続していたら、当然の結果そうならざるを得ないからそうなるだけ。

そうなるようにしているのだからバッドではないグッドである。

 

しかし、そのグッドがいつまでもグッドならそのままでも良い。が、そうでないグッドもある。 別のグッドの存在を認め、そちらを向くのかどうかはその人次第!

 

 思考の入力、処理、出力のプロセス、人間の思考システムは1つであり、入力とその処理により結果は決まる。また、その結果をどう意味づけ、評価するかは、その評価者の思考システム次第。入力を変えることも出来るし、処理システムを変えることも出来る。処理システムを変えない限りは本質的には変わらない。

 

あくまでも処理と入力の因が有り、そしてその当然の果である。果を思考しても仕方ない。その因を思考することが大事であり、思考こそ人生! 思考を愛して、思考に生きる。

 

 まずは、向く方向を思考し決定する。

上を向くか、下を向くか。

未来を向き未来を開くか、過去を向き過去にとらわれ、自分の人生を閉じ、閉じ籠もるか!

人間本来のシステム、取り分け思考システムのモデル化と改良、向上、バージョンアップが大事。日々の生活、日々の気づき、日々の楽習!