自立とは  5自己認知変容

①地天人 ②バランス慣性質量流体 ③密閉静止流体 ④意識エネルギー伝導体 ⑤快適共有協働体


 これまで、「重さの力」を発揮し、「コミュニケーション」も自在に取れる「フィジカル」のありようを追求して来たが、ここに至り、立ち居振る舞いという言葉がある通り、先ずは立つと言うことが基本中の基本で有り、その基本があってこそ、手どころか指一本でも、その本来の役目を果たせることを実感するに至った。逆に、指一本だけで、手だけで一体どれほどのことが出来るのか? 手、指も、「重さの力」を発揮するための接続部、接触部であり、媒体である。決して部分が部分だけで機能するのではない。もちろん、自然体ということを目指すことにもなるが、「自立して立つ」ということに思い至った。

 「自立」という言葉は特に目新しくもなんとも無い。が、改めて「自立」とはという観点から「フィジカルのありよう」を考えて見たい。

 「自立」という字のごとく、自ら立つということであるが、自分だけで立てるかというと決して自分だけでは立てない。日常生活における「自立」とは少なくとも次の3つとの関係性が考えられる。

 【1】自然環境 【2】自分自身との関係 【3】人間関係

 

 【1】自然環境

 先ずは、地球が存在しないと立とうにも立つことが出来ない。また、地球も自転し、太陽のまわりを恐ろしいスピードで公転しているが、そのスピードにはへっちゃらであるが、遊園地のコーヒーカップとかブランコあるいは車や船に乗ると立っていられなくなる場合もある。もちろん、暴風、地震などでも状況により立っていられなくなる。ゆえに地球および存在場所の状況、環境がそれなりに穏やかに整っていたら、杖をつかず、柱に捕まらずに、自分で自ら立ち、自立し続けられる。が、じゃ、ずっと百時間位立ち続けられるかというと眠る時には横になるしかない。

 自ずと「自立」と言ってもそれなりの自然環境が整わないと、ライフサイクルのある限定された期間でしか出来ない事である。

 さらに、トウキビも、稲も、麦も、チューリップも、ひまわりも台風が来ない限りは折れたり、倒れたりせず、実るほど頭は垂れても、自立しているとも言える。

しかし、我々は植物ではない。動物である人間様の「自立」は、根を張らない。あるいは杭を打ち込んでがっちりと地面に固定された状態が「自立」でもない。

 我々、人間は草でも、お茶でもないが、「自立」と言ってもある面浮き草、茶柱状態とも言える。波間に浮かぶカモメの水兵さん状態で初めて、「自立」して立っている状態である。

地球との関係で言えばダンパー付きの土台と免震構造を有した心柱構造とも言える。

即ち、足、足首という免震機能を有する土台の上にフィジカル(身体)があり、その全体重(自重)が落下し、その重さの力が地球に作用し、地球からその反作用が身体に作用し、天に向かって浮かせる方向に働き、足首を中心とした免震構造により呼吸、心拍動もあり、常にアンバランスで崩れ続けてバランスを取り続けている状態が「自立」状態と考える。決して、卜杭が地面に突き刺さっている状態ではない。常に崩れ続け、落下し続け、浮き続けて、ゆらいでいる(ゆらぎ)状態。

すなわち、左図のような重力という作用と、地球からの反作用が釣り合った状態、すなわち地天人状態が自立状態。物に、人に寄りかからず、捕まらず、いつでも倒れられるが倒れないで立っている状態が「自立」した状態。ゆえに地震があれば当然揺れるが、ある程度はバランスも取れるし、崩れることも出来る。【①地天人認知】

 【2】自分自身との関係

 人間としてのフィジカル(身体)のありよう(頭と体の適切な分離:相互自立)を維持するためにも、自分自身の身体の状態を感知する三半規管もきちんと機能しないといけない。

船、バスなどのある特殊な環境で、一時的にこの三半規管に異常を起こしてやると眼振が起こり、めまいがして、立っていられなくなる。すなわち、車酔い、船酔い、人酔いなどし、自立していられなくなる。

 免震構造の足裏、踵の前の方、土踏まずの後ろの方に、膝が乗り、股関節が乗り、自重が降り立っているという建物の構造体としての捉え方も出来なくはない。それを自身のありようのチェックとして活用出来る場合もあるだろう。

 しかし、人間の形をした革(皮膚)袋に流体が密閉され充満し、バランスし静止しているとも捉えることも出来る。

以上の様に自身のフィジカルに関する認知の違いによる重さの力の質の違いが生じる。

自分自身のフィジカルの認知(頭の機能)とフィジカルそのものの自然な機能をきちんと分離されると、同じ人体、フィジカルでもその性質、機能は変化する。

米俵(剛体)一俵は60Kgであり、それを一人で担げて、昔は一人前と言われていたようであるが、同じ60Kgでも革袋に入った液体60kgは担ぐまでも大変だろうし、担いだら担いだで移動運搬は全く異なり、困難かも知れない。緊張して固まった人間をおぶって運べるだろうが、ぐでんぐでんに酔っ払った人間を一人で担ぐことも運ぶことも困難だろう。二人で両脇から抱えて運ぶのがやっとか!

 水は方円に従うと言うが、流体は重さに従う。すなわち重力質量と慣性質量に従う。

すなわち、剛体は重力質量さえ扱えれば良いが、流体は部分部分に慣性質量が働き全体を同じ慣性運動に持って行くことは並のことではない。【②バランス慣性質量流体認知】

 

 日常生活では、先に述べた地球と常に接しており、人間社会生活していては後で述べる人間と非接触あるいは接触だろうが2点2物と常に接しているとも考えられる。

この2点2物の接触面、点が安定し穏やかに、ほぼ不変、不動、不刺激の静止状態、もちろん密閉された内部流体も静止しているからこそ、その内部ではアルキメデスの原理も働くし、パスカルの原理も働く【③密閉静止流体認知】

 さて、物体には重力質量と慣性質量があり、重力方向(地上では地球の中心方向、鉛直方向)に重さm(Kg)のものがh(m)落下すれば、位置エネルギーmgh(J)の位置エネルギーが発生し、慣性方向、水平方向に速度v(m/s)で動いている物体はK=m・v^2/2(J)の運動エネルギーを持つ。

さらに人間凄いのは、きちんと頭と体が分離して本来の身体機能が発揮出来る状態(ありよう)であれば、流体の中心部の肚(丹田)を意識し、意識を動かすと、勝手に観念運動で流体の体は反応しエネルギーを生み出せる。この位置あるいは運動エネルギーが発生したら、後は伝搬、注入するために触れるだけ。肚はエンジン、手、接触部分はハンドル。触れてから何かをしようとしても遅い。それでも対応できなくはないが。最初にエネルギーが発生し、伝導してしまう状態であれば、あとは触れる、思い(方向性など)を伝えるだけ。肚から波、津波を起こし接触部から伝搬する。

ハンドルが動かしたからと言ってエンジンまで同期して動く必要は無いというか普通は動かない。エンジンが掛かっており、ハンドルで方向転換した結果としてエンジンも動くが、原則、エンジンはエンジンで機能し、ハンドルはハンドルで分離してそれぞれの機能を発揮する必要がある。頭と体の分離、体と手足、四肢の分離も必要である。が、意外とその分離が難しい。ややもすると一体化してしまう。その分離のままに機能するのが自立した状態。外からの自立も必要だが、内なる自立も必要。【④意識エネルギー伝導流体認知】

 

 【3】人間関係(相手との関係)

 自立するためには、身体的にも、精神(心理)的にも、相手に影響を受けない。依存しない、反発しない、無視しない。相手は相手、自分は自分で、身体的にも、精神的にも自立している、独立している必要がある。

 相手に絡まない、挑まない。反発しないなどなど。

 視覚、聴覚などのいずれかの感覚、知覚を通して、相手の情報を受け付け、受け入れ、認知はするが、それに対して何も反応しないという行動がまず基本。基本だが特に触感に関してはついつい反応してしまうように学習して来てしまっている。即ち、触感優位で有り、相手がソーシャルディスタンスを保っていてくれればまだしもパーソナルスペースに入るだけでも、体は反応してしまいがちで有る。また、反応するのが普段の生活では普通なのかも知れない。驚いたり、精神的ショックを受けたりしても立てなくなる場合もある。しかし、それが本来のありようかといえば、決してそれが自立した本来のありようでは無いと考える。

相手との関係で受動的な立ち場であってもそうである。

 ましてや、こちらが相手に対して何かをするという場面においては、上手くやろう、良いところを見せよう等と思った途端に、自立は崩れ、相手に寄りかかったり、前後左右に傾き、偏り、固まり、銅像状態、木偶の坊状態、根っこがはえた状態に陥る。

 相手をどうこうする思考では無く、自分の現状を認知し、自分の未来の向けて願い、自分の出来るしたいことをする独立独歩の自由人状態が自立である。人との間を認め、人間として相手に依存せず、無視せず、反発せず、相手と接触非接触にかかわらず相手と触れ合い、分け合い、協働する。優しい触れ合い接触部およびエンジンの状態の内観はずっと継続し、見守り、必要な時にはいつでも道を譲れる立ち方が自立した立ち方で有り、自立し続けているありよう。【⑤快適共有協働体認知】

 

 自立とは、内外いつでもどこでも譲れる立ち様!