諦念力、克己力、持久力

人を活かす重さの力の元の3力と作用反作用と地天人


 人間って何? どうしたら健やかになるのよ? 動くのよ?

 

という和真クリニック開業時からの課題を追い求めて、現在に居たるが、これまでこの人間原論で、妄想たくましく、自分の感覚と知覚による認知を働かせ楽習してきた結果、【諦念力】・【克己力】・【持久力】の3力に行き着いた。

 

 和真クリニック開業前から、辛い思いをし苦しんで来る人達を相手にして何をどうしたらよいのかこれまで学んで来た医学では全く歯が立たないことを体感、実感し、思い知らされ、何とかしなければという若気の至りで成り行きで開業してしまったが、その後も悩みが尽きず、経営が尽きそうになりながらも、たくみの会で人間を学ぶ機会を得、その中で、たくみの会運動方程式と出会い、「重さの力」、「ありよう」という概念に出会い、分かるようで分からないそれらを自分の身を介して追求してきた。

「コミュニケーション」に関しては、特に目新しさは無く、はい、はい、コミュニケーションねと思ってきたが、「重さの力」「ありよう」の奥深さを知らず、「コミュニケーション」の奥深さ、実際など分かるはずも無い。でも、既知のごくありふれたものという誤解してきた。

 

 「重さの力」「ありよう」を知行合一してある程度体感すればするほど、当然「コミュニケーション」の奥深さは深まる。掘れば掘るほど未知なる世界と面白さ。

 例えば重さの力ということで、重力という概念に目が行くが、当初は重力が重さの力であり、その力で動かすことのみに意識が行っていたが、動かすためには、動かないということがどれだけ凄いことなのかに気づき、知るまでには相当掛かった。すなわち重力質量と等価である慣性質量という概念にいたり、かえって混乱した時期もあったが、動かない、静止するとは何、どういうことという課題ともなった。

 その中で、作用・反作用も新たな姿で現れてきた。そして、自立するとはどういうことなのか?

やっとやっと昨日なるほどなと思い至った。

 

 自分の自重(重さ、重力)で身体全体、下肢が落下し、身体が地球に作用し、その反作用が地から天に向かって人に働き、人の骨盤から、脊柱、頭に働き、浮きが掛かり、各関節の関節腔が広がり、伸展し、ゆらいでしまう身体のありようとなる。地球にアースする地天人のありようも実感されるようにもなる。本当にただただ任せるだけ。力感などあり得ない。

 

 確かにその通りであり、ある瞬間、ある限定された期間と場面は比較的簡単に実現出来る。しかし、相手が変わり、場面が変わると、下手をしたら動こうと思うだけで、何かしようと思うだけで、瞬間で淡い夢と消え去るのが残念ながらの現状であり、それを何とかしなければならないと、あれこれと身体に対して仕事をさせ、ありようを安定させることを試行錯誤してきた。目的は身体のありようを自然体にする事であるが、その命題の立て方に誤りがあった。

 

 その中で、何とかしなければならない。何とかしようとする思考そのものがブレーキになり、邪魔していることを健康教室をやっていて気づき、行動と思考を分離するという体験を通して何もしない(無我)状態を擬似的に体験することにより、結果として思考と行動が分離し、身体が自律的に働きやすくなることに気づき、思考と行動のマトリックスということで、提示した。

 

 しかし、頭では理解、了解しても、どうしても、何かを得たいと思うと何かをしようとしてしまう習性、習慣が身に染み付き、形成されてしまっている。

思考するとは、学ぶとは、何という課題が生まれ、未来感覚循環という概念からさらに知情意という古来からの概念、さらに意識体、伝導体、整流器、増幅器という身体に対しての認知の変容を経て、「流体」それも「密閉」した「静止」流体という認知にいたり、浮力、パスカルの原理を再発見し、さらに媒体でもあるんだなと身体の概念が広がり、深まってきた。

 自分の身をもってそこまでは達したが、やはり川に流れる泡のような淡い瞬間的一時的なありようしか実現出来ない。また、筋力も調整力とは言うもののそれでも、知らず知らず不要な力が入ってしまう自分がいることも見えてきた。

 

 「ありようが自然体になる」ためには、命題の立て方をそもそも変えないと実現するわけが無い。今の現状のありようをこれまでにない「自然体にする」という命題の立て方そのものが問題であり、「する」Doではなく「なる」Beと、命題を立て直さざるをえない。

 

 身体機能の感覚・知覚・認知・運動システムで、何を知覚・認知し循環すれば良いのか?

次の3つの力を常に内観し続ける練習が、命題実現のためには必要と実感するに至った。

 

 諦念力:

身体に対して命令し、指示し、号令をかけることを止める。諦める。余計なことをしないことが正しいこと、為すことだと芯から信じる力。

 

 克己力:

ある面上記が実現すると身体が自律的に機能し働き始め重さの力を発揮し始めると、ついつい我欲が出て来てこれまでの習慣で力感(満足感)を伴う筋力で仕事をしよう、動かそうとしてしまう。その衝動、我を意志の力で乗り越える。

 

 持久力:

上記の2つの力を維持し保ち続ける。その状態を変えずに保つ。最初は歯車が回るようにぎこちなさ、動と静が入り乱れるが、いずれ節無く滑らかにキープし、回り続けられるようになる。

 

 重力質量、慣性質量、作用・反作用、意識媒体を、身体システムを、

ただただ信じ受け入れ任せる。大丈夫と自分に言ってあげる。

媒体を通して流通するのは、情報エネルギーと位置および運動エネルギーである。その作用した結果が力として認識される。力は結果であり、いじっても仕方がない。