ホームページの最初のページに認知楽習システムとして、さらに「認知運動ゾーンサイクル」そして「感覚知覚認知分析と感覚認知行動変容」ということでも、紹介している身体システム(知覚・認知機能)を、ここでは相手との関係性において述べてみたい。
基本は、「感覚→知覚→認知→行動(運動)」という立った4つのプロセスのみのシステムだが、ここでは、知覚と認知という所に焦点を当てて対峙する相手との関係性において確認して行こう。自分と対峙する相手との関係においては、知覚としては次の5つに分類される。
それらを知覚統合して、こちらはこちらで、あちらはあちらで、それぞれの体験、知識に裏付けられたその時点での認知が生まれる。
相手に関わるためには、相互に感覚器を通した情報の交換、コミュニケーションを取らざるを得ない。場を共有している限りは、意識しようがしまいが、相互に情報を発信し合っている。
人を力(力学的、経済的、社会的、心理的)で、暴力で、お金で、権力、恐怖で押さえつけることは出来る。が、その人が健やかに自立的に行動変容するためには、その方の立ち場で、視線で、思いで、それに見合った環境を整えたら現状認知し、その人も自律的に自立して行動する。
そのためには、随伴性という概念で、行動を強化していくことも必要である。
やはり、相手基準で物事を考え、判断しないと相手は健やかな行動とはならない。
反発、抵抗、拒否、拒絶、無視は、相手基準では無く、自分勝手な自分基準で、相手のことを無視して行動すると当然の結果として付いてくる。それも、やはりそうなるように随伴性、強化因子を強化して行くとさらにスムーズに実現出来る。抵抗行動を十分引きだししておいて、その行動を承認すると結構面白い事にもなる。そこら辺は、たくみの会のDVD「触感123(AB、BCアプローチ)」に詳しい。
ここでは、対峙する人間による協働、共同作業を、適切な知覚の元、認知が適切に行われて、適切な行動が起こる機序(normal healthy action) 、すなわち人相互間の本来の機能(人間関係)について述べる。
ちなみに、今現在の身体のありようのイメージは上記の左図の様な感じ。手足も上肢も下肢もあることはあるが、あるようで無い感じ。手足はゆらいだ結果動く時には動いてしまう感じ。
もちろん、その身体のありよう、状態により適切に知覚が機能するか、不適切に機能するかで、自ずと認知も変わり、行動も変わる。要は如何にこの知覚・認知の身体システムが機能するかの理解、考察である。
まずは、この身体システム(感覚・知覚・認知・行動)が、こちらの自分にも、あちらの対象者にもあり、機能しているということを真に芯から知る。即ち認知無くして行動無しであり、適正な認知して初めて適正な行動が起こるという人間の真理であり、決して適正な認知をしているのに、不適切な行動が起こることはないと言うことで有り、不適切な行動は不適切な認知をしているということである。即ち、認知→行動には ○→○、△→△、ー→ー しかないと言うことである。
ここで、医学部では学ばないことだが、認知がぼやければぼやけたなりの身体機能(△)となり、認知が成立しなくなると筋肉の機能も休止(ー)するという一般的には信じられない状況となる。筋肉が休止するがゆえに重力は常に働いており、落下が始まり身体は崩れると言うことになり、また、余計な筋肉の働きも無くなり、普段の無意識不用な過緊張も軽減され、ストレスも軽減され、癒される(ー)と言うことにもなる。
こちらの自分も、あちらの対象者も、このシステムにより自主的に自律的に自立して行動する動物であることを認知する。認める。すなわちあちらはあちら、こちらはこちらで独立している。
その人間(身体)システムが滑らかに淀みなく問題無く流れるように調整し維持する。足枷をつけ、ブレーキを踏み、お互い邪魔しないようにその自他の独立の環境を整える(環境整備)。
こちらの自分の知覚、認知を不適切に、不自然にする必要も無いし、あちらの対象者のシステムを邪魔したり、絡んだりしないで、やはり、相互に尊重し、自主独立にその人らしく行動してもらう。
あちらとこちらで協働してひとつのことを成し遂げる場合には、相手基準で相手を尊重し、相手の行動しやすい様に場を整えることしか出来ない。足手まといにならないように、邪魔しないように、出来たらスムーズにシステムが機能する様に支援する。
一方、それはこちらの自分に対しても同様であり、そのためには、局所的、部分的、表面的、一時的なことではなく、相互(相手は相手の、自分は自分の)の目的に即した目標を実現するために、相手およびこちらの現状認知を適切にする。
ただ、この現状認知が意外や意外、不適切な現状認知しか出来ない様に訓練され、習い性になっている場合が多い。その限局した歪んだ現状認識が、窮屈な歪んだ結果(行動)を導く。
そうならないためにも、現状認知を自分の目的(相手基準ではなく自分基準)に方向付けした(主体的)全体的な、客観的、適正に必要最少限の事実を知覚、認知する事が必要である。自分自身、相手に、危険、緊張、不安を呼び覚ますような個々の現状認知は改める。必要な事実を淡淡と知覚し、認知する。いわゆる色をつけず、評価せず、個々を素直に認知する。逆にありようが磨かれるにしたがって現状認知も一々考えなくても素直にすっと可能となるようだ。
自他への知覚認知の結果の現状認知、自分に対しても、相手に対しても、が、適切であれば、スムーズに淀みない行動がチェックされる。
淀み、居着く場合は、現状認知が間違っていることを知り、修正する。
相手の自主的自律的自立行動に対しての適切な現状認知も大事である。すなわち、その行動を受け入れず、否定しても相手の協力は得られず、協働は出来ない。
相手の自分基準に合わせて(相手基準)で、こちらの自分の目的に向けて、自分の目標を(自分基準で)実行するために、相手の行動をどう現状認知するか?
この点も、大変大きな曲がり角で有り、その相手の行動の現状認知が不適切だと、こちらも適切な認知と行動が伴わないのは自明の理である。
もちろん、相手は相手で、やはり自分基準で目的達成のための現状認知と目標設定が必要であり、こちらの自分が、その相手基準の目線を保持しつつ、やはり自分基準で知覚、認知システムをスムーズに起動させ、機能させる必要がある。
一般的に相手の自律的自立システムが機能した結果の行動に対して、行動承認し、享受してこちらの知覚認知システムが適正に機能する①。すなわち、行動に対してこちらが目的に適した目標を設定して相手の認知不成立を成立させてあげると相手は自律的に脱力、落下することとなり、癒される。行動承認による認知不成立①。
相手の認知の結果の行動に対してのこちらの適切な認知行動で、こちらの目的は達成されることとなるが、同じ目的を達成させる際に、相手の行動のまえの認知の時点で相手の認知を知覚し、承認し、相手への知覚不統合による認知不成立を認知してもらえれば、相手が行動を起こす前に決まってしまうということも可能である。認知承認による認知不成立②。
認知と認知のコミュニケーションが、人間本来のコミュニケーションである。
さらに、この身体システム(感覚→知覚→認知→運動・行動)を対峙する相手との関係性を、認知(情報処理)系と行動(出力)系とに分離し、また自他をきちんと分離してあるいは自他相互の関係性をしっかり認知すると行動もピュアになり効率も良くなる。自主自立自尊は他尊共存、また、瞬間でさえもこの身体システムで分析、解析しデザイン出来る。すなわち、瞬間マネジメントが可能となる。
人の感覚の刺激となるのはそれぞれの感覚器への変化であり、違和感である。刺激を与えると感覚器から刺激発信され、知覚、認知される。刺激も違和感も無く知覚されなければ認知もされない。刺激を強くしていくと緊張を、弱めていく弛緩する身体の特徴があり、かつ、慣れ(順応)という性質もある。いずれにせよ、相手への刺激の与え方、変化により相手のその時々の感度での感覚を通して、知覚し、認知することとなり、その結果行動となる。即ち、相手の意識に昇らないレベルで知覚を変化させると認知も変化し、行動も変容する。相手との関係性をしっかり認知し、相手の感度以下で知覚を変化させ、認知を変化させると行動も変化すると言うことになる。
余計な主観は入らず客観的に認知する必要がある。
即ち、余分な判断や状況不随、感情を伴わずに、相手の認知を客観的に端的に認知する。拳で、剣で突いてくる、脚で蹴ってくるなど余計な評価の結果の感情、情動の無い、相手という意識体との関係性の客観的事実を認知する。
ただし、その前提条件として相手の認知の現状を認知出来る様に、その身体システムを磨き、開く必要がある。すなわち余計な恣意を持たず、余計な緊張もなく、自然に楽にゆらいだ身体で、相手を全て受け入れるありようが必要。それで初めて相手の認知を知覚される④。思考処理システムの余計な処理を止めて解放し、ワーキングメモリーを十分確保し、ウォームアップしクロック数をアップさせ準備万端にしておく。
日々の生活で瞬間瞬間を意識し、現状認知を適正にし、目的(ねがい)と目標(したい)を明確に迅速に設定出来るように、その思考システムの流れを活性化し潤滑化出来るように日々直近の願い(目的)を明確化する即ち直近の願いに認知を寄せていくトレーニングをする。ありようと思考システムを磨く必要はある。
人を動かすことは出来ない。が、人が自立して自然になるようになる場をデザインし、設定することは可能である。