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フィジカル大事典より導かれる公理

 「正しい知識を知り、知覚を開けば、可能性は広がり、困難は減少する。」

 

 フィジカル大事典のDVDを見ていて、改めて決してフィジカル大事典はフィジカルのノーハー、やり方、工夫の仕方ではないんだという気づきから、さらに気付いたことというか、当然の帰結として出て来た結果を記す。

 

 人間当然その人生経験、学習によりその時々の知識レベル、人間能力レベルは種々ある。

その中で、自分自身の身体を通して得た体験経験の人間の正しい知識(人間原理)を知り、それを活用出来る自分自身になることが一番大事な事とは思う。

 即ち、自分の頭で人間に関する正しい知識を獲得すれば、それを情報として相手に伝えられ、その相手のその時の知覚の開きように合わせて、情報を整理し、加工し、相手が、知覚・認知しやすくも出来るし、対応困難にも自在にデザイン出来る。

 

 知識をそれなりの情報として相手に伝え、適正に感覚、知覚してもらい、適正に認知しもらえれば、適正に行動してもらいやすく、対応可能となる。一方、適正に知覚、認知してもらえなければ、適切な行動にならない事も道理である。対応困難な状態に相手を追い落とし、追い詰める事も可能である。それを防ぐためにも、相手方が知覚を開けば開くだけ対応可能領域が増え、対応困難領域が減ることは自明の事である。一方自分に関しても同様である。自分が知覚を開き、対応可能領域が増える事はやはり自分の可能性を広げることである。

 

 フィジカル大事典の「関節の宿命」(その他、ミラーニューロン、動く力と動かす力は全て重さの力、筋肉は調整 (フロムセンター)、筋肉は手前で動く、無軸・無中心・無支点、遊び感覚、下げる力は重力のみ、全方位筋トレ、オフスタートなど)の知識を得て、身体の自律性を信じて、自立行動を取れれる自分となれば、自ずと情報は相手に伝わり、相手の知覚の開き具合に応じて、相手は対応可能となるか、対応困難な状態に陥るかは相手次第で有り、相手の反応、行動を見ていれば自ずと認知されて来る。こちらが粗くても直線を提示すれば、相手がさらに粗い知覚であれば、簡単に崩すことも出来るし、相手が知識を改め、知覚を開き少し鋭敏にすれば、こちらが直線情報を提示したと思っていても相手はそれ以上に敏感に円を知覚し、対応可能となる。相手が知覚鋭敏になればこそ、相互に切磋琢磨して、知識と知覚のブラッシュアップ出来、相互に良い学習相手、稽古相手となる。

 

 そこで、はたと気付いたのは、関節の宿命が問題かというとそれは単なる1つの知識で有り、皮膚の宿命、感覚、知覚の宿命も既に学んでいるでしょうということ。その基本知識(原理)が同じであれば、相手のその知覚の開き具合に応じて、対応可能なことは限定されて来る。何も接触した関節の原理のみならず、接触した皮膚(肌)感覚でも、さらには非接触による肌感覚でも情報と情報処理システムとしての人間であれば、同じであることが、視覚、肌感覚を通して実感され、導き出される当然の帰結である。

 

 改めてそのことを図示し見える化し、実感しやすくした。

「正しい知識を知り、知覚を開けば、可能性は広がり、困難は減少する。」

 

端的に言えば、人間の限度は、知覚の開き具合による!

即ち、運動・行動は結果で有り、感覚、知覚、認知が人間の能力を決める元。